●無限書庫 3:13 p.m.
そこは無限の知識と叡知が集う場所。
管理局本局にある、時空中の蔵書や記録をかき集め、保管する、無限書庫だ。
その、四方を本に囲まれた空間の中心で、周囲に分厚い資料を浮かばせながら作業を続けている青年がいる。
ユーノだ。
内容は全て古代ベルカの歴史に関するもの。特に、聖王全盛期の頃の資料である。つい先日起きた、聖王騎士の墓の発掘。そして、そこから発見され、レクサの体内に宿った、レリックコア。それについて、彼は文字通り無限に及ぶ規模の情報から、知識を得ようとしている。
そして、ある一文に目を付けたところで、彼に近づく影があった。
「ユーノ。専門家に頼んでた碑文の解読、終わったみたいだよ」
「――ありがとう、アルフ。そこに置いてくれる?」
はいよ、とユーノの傍に束になったファイルを置くのは、フェイトの使い魔。燈色の毛並みのオオカミを素体とした、アルフだ。
かつては成人女性ほどの体躯をしていた彼女だが、今は主の負担を減らすためにと、十歳前後の姿をして活動している。
「そんで、なんか分かったのかー?」
「……うん。多分アルフが持ってきてくれたのを確認すれば、間違いない」
一つは火。ある文書に記述されていた赤い騎士。
一つは風。騎士カリムのいる、聖王教会の本に載っていた、青い騎士。
そしてもう一つ。今しがた見つけた、新たな記述。
「予想通り、まだレクサのレリックには、他の形態が隠されていた」
ユーノがスッと手を振ると、アルフの運んだファイルの一つが、触れもせずに開かれた。
断続して起こる、ページをめくる音。それが、ある項でピタリと止まる。
「なんて?」
「……山。山の心の騎士」
――聖王に害なす者あらば、山の心の騎士、大いなる刃持ちて、不動の基に断ち切らん――
●廃棄都市区画 3:17 p.m.
「なのは、ガジェットが!」
「うん。退いていく……」
先程まで自分たちを足止めしていた空戦型ガジェットが、突如戦域を離脱するのをなのは達は見た。まるで、自分たちの役目は終えたとばかりに。
はやてを聖王教会へ送り、その帰り際に出動を受けたフェイト。新人達を連れ、六課から出動したなのは。その二人は、揃って同時に出現した航空Ⅱ型のガジェットの襲撃に遭ったのだ。
結果、なのはは新人達だけで運び屋の男を追わせることとなり、そして――
「ロングアーチ、あちらは……?」
『スターズ、男性一名確保。もう一名もライトニングが掴まえたみたいです。でも……』
通信で聞いていた、キャロの召喚暴走。その結果は、アルトの口から出てこなかった。
報告よりも早く、フェイトは現場へ。もしまだフリードが暴れているなら、新人だけでは対処できないに違いない。キャロへのフォローだって必要だ。
だから今出せる最大速度で、フェイトは飛ぶ。こういうときに、魔力制限は足枷に感じられた。
時間にしては一分足らず、しかしフェイトにとっては遅すぎる到着だった。
だが、想定していた光景は、見あたらない。
「これ……は……?」
崩落したビル群。気絶したフリード。男を捕縛し、泣きじゃくるキャロを宥める、エリオの姿。
それより何より、フェイトの予想を裏切ってくれた、青年。
灰色の縁取りが施された、深緑の鎧。全身をそれに包んで、レクサが息を荒げ立っている。
彼が倒したのか。あの、暴走したフリードを。
「――ハラオウン、さん……」
「レクサ君、大丈夫!?」
笑って平気だと、そう言いたかったのだろう。レクサはフェイトの方を振り向こうとして……崩れ落ちた。
直前に変身していたとはいえ、巨大なフリードの体躯に突撃されて、効かないはずがなかったのだ。
そのまま、レクサの意識は次第に薄れていく。
誰かが呼ぶ声。誰かの泣く声。
――最後に見えた、キャロの泣き顔が、酷く悲しかった。
Alternative StrikerS
06.【戦意】
●機動六課・医務室 4:47 p.m.
「フリードの全体重をかけた突撃。それをまともに受けて、結果が骨にヒビが入っただけ……。新しい騎士は、相当防御能力が高いみたいです」
「ほんでそれも、すぐ治るんやね?」
「治癒のスピードが早すぎます。いくら何でも、これは――」
「聖王を守るために、即座に戦える状態にする。レリック・コアにプログラミングされた、超速治癒能力……」
レクサが寝るベットを挟んで、シャマルとはやてが言葉を交わす。烈風の騎士であったにもかかわらず、ダメージが少なかったのは、攻撃の直前に変身していたからだ。
恐らくは、生命の危機に際して、レリックが自己判断を行ったのだろう。フリードによるダメージはそれによって軽減され、彼の命を救う結果となった。
だとしても、だ。怪我の治りが良すぎると、はやては思う。例え身体が強化されていようと、魔力が強化されていようと、彼が人であることに変わりはないのだ。こんな風に無茶な回復を行って、レクサに影響がでないはずがない。
「……山の心、な」
「ユーノ君からの報告。多分今回の騎士のことですね」
「大いなる刃持ちて、不動の基断ち切る、か。となると今度の戦器は――」
「「剣」」
シャマルと重なったのは、男の声。はやてが視線を下に向けると、「ご心配おかけしました」、と言って苦笑するレクサがいた。
はやてはその事態に驚き、目を見開く。時間にして二時間弱。その短時間でもう意識が回復したのか。
「あんた、いつ起きたん!?」
「丁度今ですよ。今度の騎士は大剣使いみたいですねっててて!」
「う、動いちゃ駄目よ! まだ完全に回復したわけじゃっ」
「骨はもう、くっついてると思います。――それより、剣を使わないとなら、一つお願いが」
こちらの心配など、どこ吹く風か。レクサの真剣な表情に、はやては溜息をついた。
遺跡調査員になるときもそうだった。聖王教会に来た自分に向け、開口一発「魔法を教えて」、と頼み込んできた時のことを思い出す。
当時はカリムも、レクサの言葉に猛反対をしていた時期だ。魔導師として圧倒的に足りない魔力総量。才能はあったが、それを繰るだけのキャパが足りなかった。
それでも、魔力運用の訓練を徹底的に行うのが一年。ヴィータとザフィーラに基礎訓練を受け、シャマルに探索・索敵を学ぶのが一年。そして、八神家の全てを受け継いだのが、更にその一年後。
――よーするに、言い出したら聞かんのよね。
だったら、仕方がない。自分にできることといったら――
「で、お姉ちゃんにどんなお願いや?」
――こんなことぐらいしか、ないのだろう。
Ψ Ψ Ψ
「お疲れ、なのは」
「フェイトちゃん……どうだった?」
ロビー脇に備え付けられたソファーに座っていたなのは。そこに犯人の護送と、簡単な質疑応答を済ませたフェイトが歩み寄った。なのはの質問は、この部隊が旗揚げされた理由のことだ。
男性二名が運んでいたという、レリックと思われるケースの事。そして、裏で男達を操っていた、敵の存在。
それに対し、フェイトは首を横に振る。
「駄目。運んでた犯人は中身がなにかすら知らなかったみたいだし、ケースを渡した女性の足取りも、綺麗に消されてる。レリック自体も、精巧に作られた贋作だったみたい」
「なんで、そんなこと……」
「分からない。でも、レクサ君を襲ったっていう女性。私たちを妨害してまで、意図して戦わせようとしたこと。それらから考えられることは――」
「やっこさんは、レクサに戦ってもらいたいんやろうな」
背後からの声に、なのはとフェイトは振り返った。そこにいるのは十年来の親友にして、機動六課部隊長の姿だ。
今ここにいるということは、レクサの意識は戻ったのだろうか。
「ごめんな、今回は私のミスや」
「そんなこと……私がみんなに、デバイスを渡し遅れたから」
「その新型魔導器の導入前に出動させた。相手の意図に気づけんかった。始末書の山が目に浮かぶわ」
そう言って、最後に苦笑。
聖王騎士であるレクサ。それと一度は交戦し、しかし殺さなかった敵勢力。加えて今回の事態だ、予想される意図は、それぐらいだろう。
だが、意図に対する理由が見つからない。聖王騎士を戦わせる、そのことに一体どんなメリットがあるというのか。リスクを負い、自らの戦力を割くまでして、得るに値する情報なのか。
現時点での結論は保留。はやては逡巡した思考を切り上げる。手札が少なすぎる今に限って、これ以上の熟慮は誤った答えを生む可能性の方が高いだろう。
「フォーワードの方は、どないや?」
「ティアナは犯人確保の後、フェイトちゃんについて行ってもらってた。あの子、執務官志望だし、色々勉強できると思って」
「スバルとエリオは報告書の作成。ヴィータに頼んでもらってる。……キャロは…、あの後泣き疲れて眠っちゃった」
返答するフェイトの声が、少しずつ小さくなっていく。
廃棄都市での戦闘は、最初の一撃で全てが決した。下あごを狙ったレクサの打撃は、正確に、かつ確実にフリードの意識を刈り取ったのだ。召喚暴走とは、言うなれば召喚師と召喚獣のリンクが正常に機能していないということ。この場合フリードが気絶したことで、再びキャロの制御下に。成龍体では再び暴走する危険があるため、すぐさま封印処理が成された。
そうして幼生体化したフリードは、そのまま戦闘不能となった。だが、目の前でレクサを攻撃してしまった、キャロ側のショックは大きかった。取り乱し、錯乱し、泣き濡れて、ひたすら謝り続ける。フェイトにとって、見るのは辛い姿だったろう。
今は宿舎の自室で眠っているはず。できれば悲しい夢だけは見ないで欲しいと、フェイトはそう願った。
「召喚系の魔術訓練もできていたし、本当なら問題ないはずだった……」
「けど、キャロは対人戦闘…ううん、実際の戦闘そのものが初めてだった。多分問題は、技術じゃなくて、精神面」
無機の敵意と人の殺意は違う。対人戦は、感情のぶつかり合いでもあるから。
ダイレクトに衝突する痛み、怒り、悲哀、憎悪。それを受け止めて、押し返して、圧倒せねばならない戦い。
それをまだ齢十ほど少女が、覚悟もなしに行える筈がない。
「明日の訓練で、デバイスの調整をする予定。レクサ君は――」
「ああ…あれはちょい、ほっといてあげて。取り敢えず、深緑の戦器を何とかするみたいやから」
「もう分かったの?」
「大いなる刃やって。剣の扱いなら、専門家がおるやろ?」
なるほど、と相づちを打って、なのはははやての言葉を受け取った。近接戦闘や得物の扱いに関してなら“彼女たち”のほうが適任だろう。
問題はキャロ。彼女のデバイス、ケリュケイオンの調整も、本当なら行いたいところだ。だが今の状態で、それができるだろうか。
龍召喚の暴走。仲間へ傷を負わせた自責。心の傷は、深いはず。
優しい娘なのだ。それこそ、自分よりも誰かが傷つくことを、悲しむような。
「なのは、はやて。今は……」
「――いや。ここで止まったら、あの娘はきっとこのままや。大き過ぎる力に怯えて、自分の可能性に背え向けて。それだけはアカン……、そうやろ?」
「……うん」
そっとしておいて、あげて欲しい。フェイトの願いはもっともだ、はやてもそう思う。
だが、停滞は後悔を深くし、その中での自問は、悪い回答しか出てこない。
だから――
「なのはちゃん、フェイトちゃん。ちょっちお願い、ええかな?」
荒療治かもしれない。それでは駄目かもしれない。
けれど、彼女には見てもらいたいのだ。
戦う意志を。戦意という刃を。
その刃はきっと、鋭く、重たく、冷たく、しかし必要なものだから。
Ψ Ψ Ψ
「お前の力は、余りにも大きすぎる」
そう言ったのは、ルシエの長。父母を失った私を、育ててくれた人の言葉だった。
私の腕の中には、眠りについた銀龍。召喚術を教わった日、初めて呼び出した自らの護衛獣がいる。
護衛獣は召喚し送喚する従来の召喚獣と違って、常に召喚士と共にいる、特別な契約を交えた存在。そしてそれは、術士本人の潜在能力を示すもの。
普通、護衛獣の召喚は、一人前とされる年齢まで行われない。初めての召喚で、護衛獣にするほどの存在を、呼び寄せる者もそういない。
要するに、私は異端だったのだ。異端の中にある召喚師、その中でも特別な。
「お前を、これ以上ここに置いておくわけには、いかんのだ」
そう言った二人目の父は、声を震わせていた。
隣に座った二人目の母は、顔を伏せて泣いていた。
私は、拒みも泣きもしなかった。
異端の中の異常。そうである自覚はあった。同い年の子ども達は私に近寄ろうとしなかったし、周りの仲間も避けているのを感じていたから。
だから部族からの追放も、素直に受け入れた。生きるための術は一通り学んでいたし、これ以上ここにいれば、自分を育ててくれた人や、部族の皆に迷惑がかかるから。
「戦力にならないんですよ。戦うと言っても暴走した龍が暴れ回るだけ。単騎で突撃させて陽動ぐらいにしか、戦術運用としては――」
放浪の旅はそれほど長くなく、浮浪者に襲われて召喚暴走を起こした私を、管理局が保護してくれた。
しかしそこでも、私の居場所はないに等しかった。
管理局は法の下に魔法を用いて世の平定を守る組織。自身の魔法を制御できない私は、どこにいても持て余された。
そんな私の話を聞いてきたという、『しつむかん』と呼ばれた女の人。金の長い髪が、とても綺麗だった。まるでどこかの本で見た、女神様のよう。
きっと彼女も、自分を恐れて離れていく。そう思っていた。
だけど――
「……この娘は、私が預かります」
そこから先は、まるで夢のよう。
今まで正規の訓練を受けていなかった私に、フェイトさんは指導者を紹介してくれた。最初はおっかなびっくりだったけれど、少しずつ召喚術の事を理解して、暴走を起こすことも無くなった。
保護施設にいた私を、暇がある度に見に来てくれて。色々な所に連れて行ってくれて。分からないぐらい幸せで、泣いてしまって困らせて。
「キャロは、どこに行きたい?」
保護された最初の夜。「私は、次はどこに行けば良いんですか?」、と問うた私に、フェイトさんは寂しそうに笑って、そう答えてくれた。
今でもあの言葉を覚えている。胸の奥で息づいている。
どこにも行く場所がなかった。だから、どこに行きたいなんて希望もなかった。自分の行く先には、自分がいちゃいけない所で、溢れかえっていたから。
だから、私は選んだ。自分が望んで往く道を。
――フェイトさんを助けられる、そんな道を。
●機動六課・宿舎 04:48 a.m.
「なのに、何で私は、迷ってるんだろう……」
眠りについていた意識が、夢の終わりと共に、浮上する。空はもう白んでいて、一夜明けていたことにキャロは気づいた。
喉が渇く、空腹も。あれだけ悩んで、あれだけ泣いて、未だに問題が解決したわけでもないというのに、素直な自分の身体に溜息をつく。
皺だらけになってしまった制服を一度脱いで、カットソーとハーフパンツに着替えた。せめて、シャワーだけでも浴びて、頭の回転を速くしよう。
替えの下着を用意して、自室から出る。朝早いので、この時間に起きているのはフォーワードチームぐらいだろう。
シャワールームの前まで来たとき、見慣れた姿をキャロは見つけた。今は結っていないが、日輪色の髪をした、年上の女性。ティアナ・ランスターだ。
気配を察したのか、こちらの気づき軽く手を挙げる。
「おはよ。キャロもシャワー?」
「は、はい。……昨日あのまま寝てしまって……」
特に詮索するでもなく、ティアナ相づちだけ打って、キャロと共にシャワールームへ。揃って服を脱ぐと、無言でシャワーを浴び始めた。
「あの…ティアさん。昨日あの後、レクサさんは……?」
「あれ、聞いてなかった? 二時間したら平気な顔して戻ってきて、始末書作成に加わってたわよ。とんでもない頑丈さね、あの緑色の騎士甲冑」
恐る恐る尋ねるキャロに、呆れた口調でティアナは答える。事実、戦闘直後気絶していたレクサは、その二時間後には動けるようになっていた。怪我は負っていたが、活動できないものではなかったし、元来ジッとしているのが苦手な性分だ。始末書でもタイプしている方が、ベッドで寝るよりマシなのだろう。
恐れるべきは、驚異的な防御力を見せた新形態。あれだけの攻撃を喰らって、猶その程度のダメージしかないのだ。仮に防御魔法でも使おうものなら、一体どれほどの出力になるのだろう。
だが、それを伝えたところで、キャロの表情は硬いままだった。
「それで……あの……」
――ああ、そっか。
ティアナは自分の返答が、見当違いだったことに気づく。彼女が聞いているのは、そういうことではない。
「レクサさんは…私のこと……」
怒っていたか。そう、彼が自分をどう思っているのかを、彼女は知りたいのだ。
当然だろう、暴走していたとはいえ、仲間を攻撃してしまったのだ。負い目はあるに違いない。
――まあ、杞憂なんだけどね。
直接聞いたわけではない。だが、彼の態度と昔から知っている性格から、ティアナはそう感じた。
調子に乗って泣かせてしまった次の日にでも、忘れたように笑顔で会いに来てくれる。あいつは、そういう男だった。
「大丈夫よ。何なら直接本人に聞いてみなさい? きっと、何を謝られたのかすら、分からないようなやつだから」
「でも、私――っ」
「後悔は停滞か挫折しか生まないけど、反省は前進する力を与えてくれる。……これ、昔教わった言葉ね。あんたの思いは、後悔? 反省?」
陸士訓練校時代の、校長が言っていた事。それをそのまま拝借する。悔いてはその先はなく、省みれば新しい道が開ける。何度も顔を合わせることは無かったが、ティアナは一つ一つの言葉を、よく覚えていた。
つまりは、クヨクヨしてても始まらないから、立ち上がって前進しろ。そういうこと。
我ながら、回りくどい励ましだと苦笑する。
それでもこちらの意図を察してくれたのは、キャロは仕切越しに「ありがとうございます」、と言った。
そのことが妙に照れくさくて、ティアナは別の話題を振る。
「今日の新型デバイス調整。いけそう?」
「――はい。いつまでも皆さんに、迷惑をかけるわけにはいきませんから」
キャロは、機動六課フォーワードチーム、ライトニングのフルバック。この部隊に、戦うために派遣されている。戦うことは当然だし、一度のミスでそれが覆されることはない。
けれど、こんな小さな子どもに、昨日今日で覚悟など、持てるはずもない。
言動が大人びていようと、気丈に振る舞おうと、その中身は十歳の女の子なのだ。
難しいな、そうティアナは思う。葛藤の中にいる彼女に、自分は答えを教えてやれないのだから。
「……頑張りましょうね」
「はいっ」
だから最後は、こんな風に陳腐な励まししか、してやれないのだ。
そんな自分に、ティアナは少しだけ失望することになった。
Ψ Ψ Ψ
「じゃあ、今日は昨日言ったとおり、新型デバイスの調整ね」
「あ、あのー…なのはさん、ディアスさんは?」
事件が起ころうと、事故が起ころうと、機動六課の訓練は行われる。早朝訓練に際して集まったフォーワードは、二つの違和感を感じていた。
スバルにティアナ。エリオにキャロ。足下にはフリード。少し前ならこれが普通だったが、今は違う。
一つは、スバルが問うたレクサの所在。彼も訓練に参加しているのだから、ここにいないのはおかしな話だ。
「レクサ君は、昨日の形態のことで特別訓練中だよ」
「ちょい贔屓っぽいけど、堪忍してやー」
そして、疑問のもう一つ。八神部隊長の存在。
デバイスの調整にシャーリーがいるのは分かるが、彼女が居る意味は何なのだろうか。
と、そんな疑問に気づいたのか、はやては不敵に笑ってみせる。
「ゆーとくけど、私は教導でも頂点に立つ女やで?」
「嘘は駄目だよ? 八神部隊長」
「笑顔で酷ない? 高町教導官……」
このあたりのやり取りは、流石幼なじみと言ったところか。流れるような受け答えに、スバルはそんな感想を抱く。
自分とティアナの付き合いもそれなりに長いが、打ち合わせも何もなしに、ああいったやり取りができるのは、少し羨ましいと思った。
「じゃあ、スバルとティアナ。エリオは私についてきて」
「んで、キャロは私に、ちょっちついてきてくれるか?」
え? と疑問符を浮かべるキャロに、はやてはもう一度、不敵に笑う。
「キャロに、見せたいもんがあんねや」
訓練場のシミュレーターは、既に森林地帯へと姿を変えている。キャロがはやてに連れてこられた場所は、その大分外れに位置していた。
歩く度に、不規則な重低音と、微妙な大気の揺れを、キャロは感じ取る。木々はざわめき、空気は張りつめ、この空間だけを、圧迫しているかのよう。
と、茂みの近くになって、はやてが口元に人差し指を寄せた。どうやら少し、静かにしていろと言うことらしい。
了解を首を縦に振ることで伝え、音を立てないよう、茂みの向こう…開けた場所を覗き見た。
そこには――
「違うッ!!」
初めに聞こえたのは、女性の叱咤する声。初めに飛び込んできたのは、宙に浮いたレクサの姿。
仰向けに倒れた体をすぐさま立て直すと、向かい合った相手、シグナムの攻撃を受け止めた。
灰色の縁取りがされた、深緑の鎧。そしてシグナムの剣を受けた右手には、刀身だけで腰丈ほどはある、巨大な剣が握り締められている。基となるハルバート、その柄を両手剣用の長さへ差し替え、槍の槍身を剣に変更した、山の騎士の戦器。
拮抗した力を無理矢理引きはがし、レクサはシグナムと距離をとった。
訓練が開始して、幾ばくの時が経っていたのか。額からは止めどなく汗が流れ落ちている。
「お前のその形態は、防御特化の重歩兵型。故に速力はその犠牲となっている」
「だから、ある程度の回避を捨てろ、ですよねっ」
「そうだ。受けられるものは、受けて突っ込め。受けられぬものは、見切って避わすか防御しろ!」
両手で剣を握り、八双の構えをとったまま、レクサはシグナムへにじり寄る。
そこに深く踏みこんだシグナムの一振り。受ければ不味いと判断し、レクサは防御魔法を構築する。
魔法陣の形をした、従来のシールドとは違う。六角の魔力でできた盾を、何枚も組み合わせることで、一つの防御壁としたものだ。
一目見てシグナムがつけた、魔法名は――
「もっと《六角防壁陣》の防御範囲を狭くしろ! 守るところだけ守れればいい。展開数が減れば、それだけ一枚の魔力密度が強化できる!」
「はいっ!」
見たままの、単純明快なネーミングセンス。故にその機能を力強く発揮する。
シールドを展開したまま強引に間合いを詰めて、レクサは引いていた剣を一気に突き出した。軌道上の邪魔なシールドは、直前で解除。愚直なまでの素直な刺突は、シグナムの髪を数本奪った。
一拍。シグナムは微笑して、レヴァンティンを鞘に収める。
「今の感覚、忘れるな。今日はここまでにしておこう」
「え? でも、まだ俺……」
「お前に客が来ているようだしな」
シグナムの視線を追って振り返ると、そこには茂みからこちらを覗くはやてと、肩にフリードを乗せたキャロの姿があった。
一瞬の間の後、剣と甲冑を解除しながらレクサは言った。
「何してるんですか?」
レクサの訓練は早朝から行われていたらしく、一旦休憩という形でシミュレータの端に腰掛けた。
用意されていたのだろう、サンドウィッチが入った箱を開ける。一つをキャロへ、一つを口を開けたフリードへ放った。残った一つを口に含みながら、先に話を切り出した。
「昨日は大変だったけど、もう平気?」
「そっそんな。私、勝手に泣いて寝ちゃって……レクサさんに怪我させちゃったのに……」
「いいって別に。怪我って言っても、もうピンピンしてるし」
確かに、今しがた見た訓練では、負傷の名残などどこにも無かった。事実レリックの回復能力と、シャマルの回復魔法(無理矢理頼んだ)によって、レクサの怪我は今日の朝には完治している。
でなければシグナムに指南を頼んだりはしないし、したところで断られて終わりだろう。
……けれども、それで犯した罪が軽くなるはずもない。
「ごめん…なさい……」
「……」
「私が、もっとちゃんとしてたら。迷わなかったら。……きっと、あんな事にならなかった、筈なのに……」
迷いが心に隙を作った。だから殺気を当てられて、感情が揺らいだのだ。
召喚魔法の訓練は、ここに来るまで何度もした。暴走なんてものを、二度と引き起こさないために。
――私の居場所を、なくさないために。
もし失敗したら、フェイトさんに迷惑がかかる。それだけじゃない、自分はまた“召喚術を扱えない出来損ない”として、持て余されることになる。
「迷う?」
「……訓練して召喚術をキチンと覚えて、なのはさんに沢山教えてもらって強くなって……。でもそうやって強くなって、私は何がしたいんだろうって。どうしていこうと、思ってるんだろうって。…分からなく、なっちゃったんです」
不思議と、自然に悩みを打ち明けていた。否、自分でもあやふやだった思いが、言葉として、形になっていた。
そして同時に気づいたのだ。自分が立ち止まってしまった理由を。自分がずっと、恐れていた物の正体を。
そう、これは一方的なシンパシー。突然【聖王騎士】なんて力を手に入れた、レクサへの。
けれど、同じように強い力を手にしても、彼は恐れなかった。躊躇せずにその力に手を伸ばした。
何故だろうと、疑問に思う。
「キャロちゃんはさっ、どうしてここに来たの?」
「……え?」
「何かを守るため、じゃないかな」
そう言って立ち上がると、レクサは訓練場からずっと続く、水平線を見た。
空の青が反射して、海は同じ色彩で染まっている。無限に続く、青い世界がそこにはあった。
「例えば、自分の夢を守るため。大切な人を守るため。……泣いてる誰かを、守るため」
最後の言葉に、少しだけ力がこもるのをキャロは感じた。
視線は依然水平線だが、彼がどこか違う、遠くを見ているように思えるのは、気のせいなのだろうか。
思い返してみる、自分の思いを。
誰のために、自分はここにいるのかを。
「でも、恐くないですか? 凄い力を手にして…、自分でも、どうなるか分からなくて……」
「――そりゃあ恐いよ。凄く、恐い」
視線に光が灯った。そしてレクサは、「でも」、と続けると、キャロを真っ直ぐに見る。
笑う。その笑顔が、その姿が、日輪のように優しく、暖かい。
「それでも、選んでここにいるのが、今の俺だよ」
――心に静かに、火が灯った。
→to B part...