吹きすさぶ風が、鉄色の匂いを吹き抜ける。

 

 待つ者の瞳に映る物は、ただひたすらに遠い平原。

 

 その彼方より立ち上る砂煙が、開戦の狼煙を上げんとしている。

 

 姿を現すは、地を埋め尽くさんばかりの人の群れ。

 

 あらゆる物を噛み裂かんとする意思を秘めて、死の行進を繰り返す。

 

 隣国への侵攻を企図し、全てを踏み潰さんとする意思を持って現れたそれらの前に、

 

《それ》は、姿を現した。

 

 黒衣。

 

 やや細身な身体を漆黒のロングコートで包み、背には1つの鞘に仕込んだ2振りの剣を負っている。

 

 年の頃は、およそ10代後半。まだ少年といっても差し支えない年齢に見える。

 

 だが、その身より発せられる雰囲気は、大河の如き血を飲み乾し、幾億の魂を糧に歩み続けてきた死神を髣髴させる。

 

 先頭の兵士達は、訝るように足を止める。

 

 自分達の行く手を遮るように現れた少年は、万を越す兵を前にして臆するどころか、その行く手を塞ぐように立ち尽くしている。

 

 血風に彩られる戦場にあって、奇妙な静寂が身を包む。

 

 ややあって、静寂に刻まれる低い声。

 

 そこより発せられる、死刑宣告。

 

「・・・・・・・私怨は無い。」

 

 低い声は、風に乗って兵士達の鼓膜へと浸透する。

 

「しかし、諸君等の行為を今見過せば、それは大いなる災いとなってこの世界に降り注ぐだろう。それを防ぐ為に・・・・・・」

 

 右肩の方に手を回し、スラリと剣を抜き放つ。

 

 反りの少ない日本刀は、血を求めるかのように光を映して輝く。

 

「真に申し訳ないが、諸君等にはここで死んでもらう。」

 

 兵士達は、少年は気が触れていると判断したのだろう。一斉に、手にした銃を向けてくる。

 

 次の瞬間だった。

 

 緋色の風が舞ったと思った瞬間、前線にいた10数人の兵士が、正確に首を切り落とされ、宙に舞う。

 

 途端に広がる、動揺の波紋。

 

 集団の数が多ければ多いほど、不安は生存性の高いウイルスのように増殖、変異を繰り返して広がっていく。

 

「申し送れた。」

 

 血刀を一振りし、少年は口を開いた。

 

「我が名は、混沌の永遠者・・・カオス・エターナル・・・・・・・・・・・・」

 

 兵士達は後退しつつ陣形の再編を図る。

 

 そんな中少年は、淡々とした口調で語り続ける。

 

「永遠神剣第二位《絆》の主、《黒衣の死神》セツナ。」

 

 その瞳の内に殺気が彩られ、一瞬閃光が駆け抜ける。

 

「諸君等に、死を与える者だ。」

 

 次の瞬間、セツナに向けて放たれる数万発の弾丸。

 

 弾幕と言うにもまだ足りない程の、スクリーンと化した弾丸の群れ。

 

 逃げ場は無い。その弾丸の嵐は確実に目の前の不気味な少年を貫き、撃ち倒す物と思われた。

 

 しかし次の瞬間、セツナは飛んでくる銃弾を、秒単位で僅かずつ身体をずらして回避する。

 

 目を剥く兵士達。

 

 それらを前に、《黒衣の死神》は死と破壊の饗宴を幕上げした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地が謳う詩

 

 

 

外伝 〜幻想恋姫〜

 

 

 

 

 

 

 他にも選択肢はあっただろう。

 

 誰もが、そう思う事だろう。

 

 だが、あえてこの道を選んだ。

 

 故にセツナは今、ここにある。

 

 

 

 

 

 あの、熾烈を極めた永遠戦争の終結から幾星霜。

 

 カオス・エターナルになったセツナは、己が持てる炎を燃やし尽くすかのように戦いの日々に身を置いた。

 

 セツナの戦いは、常に1人。誰の助けも借りず1人で戦場に赴き、そして全てを1人で解決してくる。

 

 カオス・エターナルにとっては禁忌とも言える、対象となる世界への直接的な過干渉も、セツナにとっては何の歯止めにもなりはせず、常に最善で最短の道を全速で駆け抜ける。それが、セツナ自身の方針だった。

 

 自然、その事が他のカオス・エターナル達からの反感を買い、組織内での孤立を深める要因となる。

 

 だが、そんな事はセツナにとって、些末事にもなり得なかった。彼等との関係はあくまで協力関係であって、信頼や友情の類を育む気は持ち合わせていない。

 

 勿論、ユウトやアセリア、トキミといった古くからの戦友は今なお友好を続けているが、彼等にしてみたところで、セツナは自分の戦いに介入させる気は無かった。

 

 信頼していないわけではない。実力的にはこの上ないほど信頼しているし、こんな自分を気に掛けてくれる彼等の友情には感謝もしている。だがそれ以上に、自分のあり方に踏み込んで欲しくないと言う想いの方が、今のセツナの中では強いと言うだけの話だった。

 

 

 

 どれくらい、斬っただろう。

 

 《絆》を持つ両腕に、若干の気だるさを感じてしまう程には、時間が経ったはずだ。

 

 最後の兵士を斬り捨てた時点で、セツナは駆ける足を止めた。

 

 振り返るまでも無く、背後の状況は想像できる。

 

 一面朱に染まった大地が、死神の歩んできた道を物語っている。

 

 今回の任務は、ロウ・エターナルの介入によって崩された、とある世界のパワーバランス調整だった。

 

 軍事技術に大量の資源とマナを注ぎ込んだこの世界は、既に滅びへの道を転がろうとしていた。そこでセツナはこの世界に乗り込み、隣国に戦争を仕掛けようとする大国の軍の前に立ちはだかると、直接的な介入手段、すなわち自身の力で持って軍事力を削減する手段に出たのだった。

 

 この世界に来てこのやり方をするのは既に5回目。目標に定めた大国の軍隊は来訪当初の半分以下にまで減っている。ここまでやれば、かなり戦力的にガタが来ている筈だ。後マナを消費している大元を断てば、全ては解決するはずだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 全てを終えたセツナは、背中の鞘に《絆》を収めた。

 

《ご苦労であった、セツナ。》

 

 その内より聞こえてくる声に、セツナは頷く。

 

 数周期の時を共に戦ってきた唯一の相棒は、いつもの如くねぎらいの言葉を掛けてよこす。

 

《この世界での任務もあと一息じゃ。今はゆるりと休むが良い。》

「・・・そうだな。」

 

 この古風な女性を思わせるしゃべり方も初めの頃には多少の戸惑いも覚えた物だが、今ではほとんど気にならなくなった。

 

 永遠神剣第二位《絆》。

 

 この世を統べる7つの理の1つ、友情を司る存在であり、あの戦いの最中で出会ったセツナの剣である。

 

《しかし、相変わらず無茶をしよる。そなたがそう言う性格であるのは存じ上げておるが、此度はさすがに度が過ぎたぞえ。》

 

 溜息混じりに囁かれた言葉に、セツナは苦笑で返す。

 

 確かに、自分がいかに馬鹿な事をやっているかと言う事は理解している。

 

 セツナ自身が望めば選択肢はいくらでもあると言うのに、わざわざ辛苦の道を選んで歩んでいる自分がひどく滑稽だった。

 

『・・・・・・・・・・・・けど。』

 

 ベルトを解いて背中から《絆》を外すと、梢の下に身を下す。

 

 これで良いのだと、自身の全てが肯定していた。

 

 確かに、他に選択肢はいくらでもあったはずだ。

 

 それこそ、このような戦場に身を置くような生活ではなく、望めば安息な生活を手に入れることさえ、不可能ではなかった。

 

 だがセツナは、それを選ばなかった。

 

 なぜか、

 

 セツナには『戦場』が必要だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 目を閉じる。

 

 その瞼の裏に浮かんでくる物は、遥か彼方に掌から零れ落ちた宝珠。

 

 目が眩むほどの蒼き輝きを放つそれは、セツナの全てであり、存在その物が罪の証だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彼女がいたからこそ、自分は戦う決意をする事ができた。

 

 彼女がいたからこそ、自分は全てを捨て去る事ができた。

 

 故に彼女を裏切ってエターナルになった時、セツナの中には何も無くなってしまった。

 

 心に空虚を抱えたまま戦いを終えた時、セツナはただ、自分を忘れ去ってしまった恋人に背を向けて去るしかなかった。

 

 セツナには戦場が必要だった。

 

 例え、ゼロに何を掛けても結果がゼロであったとしても、平穏にこの身を置けば、ただ朽ちて行くだけだっただろう。故にセツナは、カオス・エターナルに入って戦場を渡り歩く道を選んだ。

 

 ただ、心の渇きを潤す為に。

 

 フッと息を吐く。

 

 《絆》の言った通り、確かに今回はきつかった。

 

 人間が相手なら、例え万が億であったとしても恐れるには値しない。だが、いかに自分より遥かに力の劣る存在が相手とは言え、数万からの軍を1人で相手取ったのだ。疲労は言うまでも無く際である。

 

「《絆》、俺は少し休む。周りを警戒しておいてくれ。」

《うむ、任せよ。》

 

 その言葉を聞きながら、セツナは自身の意識が急速に沈下していくのを感じた。

 

 やがて、静かな寝息を立て始める。

 

 その寝顔を見ながら、《絆》は無い口で溜息を吐いた。

 

《やれやれ。》

 

 毎度毎度、この男には肝を冷やされる。

 

 無理からぬ事と判っているからこそ《絆》も止めようとは思わないのだが、もう少し自愛を持って欲しいものである。

 

《やはり・・・・・・》

 

 セツナの寝顔を眺めながら呟く。

 

《そなたの中では、今だにあの小娘の存在が大きいのじゃな、セツナ。》

 

 かつて、エターナルになる前、セツナと恋仲にあった少女。

 

 今よりもなお深い闇の中を彷徨っていたセツナの行く道を照らし、手を差し伸べた少女。

 

 彼女は、もう居ない。

 

 だが今もなお、彼女の存在はセツナの足元を照らし、当所無い旅路を彷徨わせていた。

 

《気付かぬのかえ? 今のそなたに必要な物は、戦ではなく休息ぞ。》

 

 無くした物を探して生き急ぐ少年。

 

 永遠と言う永久の中を、ひたすらあてどなく彷徨い続ける死神。

 

 パートナーとして、傍で見ていて痛々しい事この上無かった。

 

《そなたは、かような事は、望まぬかもしれぬ・・・・・・》

 

 何かを決意したかのような、静かな口調で語る。

 

《なれど、わらわはこれ以上、そなたの苦しむ様を見るにはあまりに忍びない。》

 

 鞘に収まったままの刀身が、僅かに輝きを漏らす。

 

《今はせめて、この身がそなたを縛る枷を、少しでも和らげん事を、ただ祈る。》

 

 そう囁いた瞬間、辺り一面を光が包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

女は夢を見る。

 

それは、遥か彼方に見た現。

 

 

 

 

 

「取り合えず、一歩って所かな?」

 

 そう言って、目の前の男は笑いかけてくる。

 

 その言葉に、少し落胆の色を見せる。

 

 これだけ研究してまだ一歩なのかと。

 

 その言葉にも、男は笑みで答えた。

 

「確かに、ここに来るまでに、9周期も掛かってしまったね。」

 

 けどね、

 

 男は続ける。

 

「小さいけど、これは大きな一歩だよ。」

 

 その言葉に、思わず呆れ気味に頭を抱えた。

 

 それでは、言葉からして矛盾してるだろう、と。

 

「あは、そうだね。」

 

 無邪気な、とても純真さを感じさせる笑みだ。

 

 呆れてしまう。

 

 本当に呆れてしまうほど、

 

 自分達は愛し合っていた。

 

 

 

 まどろみから抜け、セツナはゆっくりと目を開いた。

 

「・・・・・・《絆》?」

 

 傍らに立てかけておいた永遠神剣に手を伸ばす。

 

 しかし、

 

「・・・・・・ん?」

 

 普段ならそこにあるはずの感覚が、無い。

 

 まだ睡魔に半ば囚われている瞼を無理やり開き、相棒の姿を探す。

 

 しかし、やはり周囲にその姿を捉える事は出来ない。

 

「・・・・・・《絆》?」

 

 もう一度呼びかける声には、やはり応えは無い。

 

 仕方無しに、起き上がろうとベッドから足を出して・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 気付いた。

 

 なぜ、自分はベッドで寝ている?

 

 確か、適当な梢に腰を下して、そのまま寝入ってしまったはずだ。

 

 しかし今、自分は屋内のベッドの上に横になっている。しかも、なぜかその部屋には見覚えがあった。

 

「俺の・・・・・・部屋?」

 

 この世界に来て拠点にしていた借家ではない。

 

 それは自分が戦いに身を投じる前、永遠神剣ともエターナルとも無縁であった、まだ無力な人間であった頃に寝食していた部屋。順当に考えてもとうの既に朽ち果てているであろう、ハイペリアに存在した自宅だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ザッと見回してみる。

 

 自分がまだ《黒衣の死神》ではなく「朝倉刹那」だった頃を過ごした部屋。

 

 あれから既に数千年の月日が流れ、記憶の大半が風化している。

 

 だがいくら忘れ去ろうとしても、自身の原点となった場所である。脳はその情景を確実に記憶し、失われた記憶を活性させていく。

 

 思わず首を振る。

 

 これは夢なのか? 自分はまだ、眠り続けているのか?

 

「馬鹿な・・・・・・」

 

 そんな筈は無い。これだけ意識がハッキリした夢などあるわけが無い。

 

 間違い無い。自分は今、数千年の時を越えて、今再びこの地に立っている。これ以上無いくらいのリアルを伴って。

 

「では・・・これは一体・・・・・・」

 

 一体、何がこのような事態を引き起こしたのか。

 

 自身の寄って立つあらゆる価値観が崩壊したかのような、そんな感覚に襲われる。

 

 その時、リビングに通じる扉が開き、人が1人入ってくる気配を感じた。

 

 とっさに身構えるセツナ。

 

 こんな状況下だ。どのような人物が現れるのか、判ったものではない。

 

 永遠神剣は無くとも、エターナルとしての鋭敏な感覚と身体能力は健在である。エターナルクラスの敵でも出てこない限り、あしらえる自信は充分にある。

 

 だが、

 

「起きたかえ?」

 

 柔らかい声と共に発せられた雰囲気が、気流に乗って室内に流れ込んでくる。

 

 まるでさわやかな華の香りのような雰囲気は、その対象となる人物を優しくくるんでいる。

 

 少女、恐らくはセツナと同年代の女だ。

 

 日本人の特徴である黒髪を持ち、瞳はやや吊りあがった黒、人形のそれを思わせる白い肌がどこか幻想めいた存在感を見る者に与えている。その着物は、なぜか寝巻きなどに使われる薄い白襦袢姿で、微かに見える胸元や素足が随分となまめかしさを醸し出していた。

 

「まったく、いつまで眠っておる気じゃ。そのように寝てばかりおると、その小賢しい頭脳にも錆が浮くぞえ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 偉い古風な喋り方をする少女である。

 

 とは言え、やはり見覚えが無い。一体この少女は、何者なのだ?

 

 そんなセツナの疑問をよそに、少女は言葉を続ける。

 

「いかに永遠者とは言え、時間は有限じゃ。持っていると思っていた貯金もいつかは尽きると心得よ。」

 

 そう言って、少女はニッコリと笑った。

 

「さて、顔でも洗ってくるが良い。わらわはその間に、朝餉の支度をしている故な。」

 

 そう言うと少女は、再びリビングの方向へ消えていった。

 

 一方で毒気を抜かれたままのセツナはそのまま暫くの間、思考が混乱したままその場に座り込んでいるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 着替えを終え、顔を洗ってから、セツナはもう1度状況の整理に取り掛かる。

 

確かに自分は、屋内にはいなかった。それは間違いない。

 

 だと言うのに、目覚めてみたらまるで今まで、それこそ、召還されてファンタズマゴリアに赴いた以後の事が、全て夢であったかのように、自分はハイペリアの自宅で目を覚ました。

 

『落ち着け・・・・・・』

 

 まず第一に、これまでの事が夢でない事は明々白々だ。それは、自身の記憶と、このエターナルとなった身体が物語っている。もしこれまで自分が夢の中にいたのなら、自分自身への整合性が付かなくなってしまう。

 

 だが、その象徴とも言うべき永遠神剣が消え去っている。

 

 代わって現れたのは、先程の奇妙な女だ。

 

 やはり、鍵はあの女が握っていると見て間違いないだろう。そう結論付けて、洗面所を出ようとしたときだった。

 

「ウキャァァァァァァ!?」

 

 耳を劈くような悲鳴が、鼓膜に飛び込んでくる。

 

 反射的に蹴破るように扉を開くと、セツナはリビングに飛び込む。

 

 既にその身は臨戦態勢を取り、如何なる状況でも即応できるように戦闘レベルまで高められている。

 

 一気にリビングを駆け抜け、気配の元となっているキッチンへと駆け込む。

 

 そこで見た。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「お、おう、セツナよ。こ、これはどうすれば良いのじゃ? このような物扱った事無い故、い、一体どうしたら良いものやら?」

 

 盛大に煙を吹くガスレンジの前で、オロオロと右往左往する先程の白襦袢の少女を。

 

「・・・・・・あーーー」

 

 何だか果てしないまでに馬鹿らしくなってきたセツナは、その場で深々と溜息を吐いた。

 

 呆れると同時に、しかし身体は動く。

 

 手早くコンロの火を消し、換気扇をつけて篭った煙を逃がしに掛かる。

 

 窓を開けると同時に煙に変わって新鮮な空気が流れ込んでくる。

 

 それを見て、ようやく少女がホッと胸を撫で下ろした。

 

「一時はどうなるものかと思ったぞ。」

「一体何を作ろうとしたんだ?」

 

 フライパンの上の物体は、既にその原型を持って生まれた役割と共に木っ端微塵に粉砕されて原型を留めていない。一体彼女は、何をやろうとしたのだ?

 

「うむ、その箱の中に肉があった故な、それを使って一品作ろうと思ったのであるが、いかんせん、わらわはかような物は扱った事が無い故、先程の事態に陥ってしまった。世話を掛けたな。」

 

 そう言って差した先にあるのは、冷蔵庫だった。

 

 試しに開けてみると、なぜかは知らないが一通りの食材は揃っている感があった。

 

『やはり・・・・・・』

 

 セツナは確信する。

 

 ここは、自分がかつて過ごした世界ではない。自分はこのように、食材の買い置きなどしていなかった。せいぜい野菜を多少買ってあった程度だ。

 

このような世界は成立し得ない。あるとすれば、平行世界、パラレルワールドと言う事だ。

 

 可能性としてはゼロではない。実際、これまで多くの戦場を渡り歩いてきて、パラレルワールドが実在する事は確認しているし、時空の揺り戻し現象をうまく利用すれば、可能性こそ低いものの、過去の世界へ行く事も不可能では無い。

 

しかしそれならそれで、この場には、自分とは別の本来の住人である朝倉刹那本人が存在しなくてはならず、逆にエターナルとなっている自分の居場所は存在しない事になる。

 

 つまり、色々な意味でこの世界は整合が取れていないのだ。

 

 セツナは傍らの少女に目を向ける。

 

 何となくだが、類推するデータが揃いつつあった。

 

 目覚めると同時に広がる過去の情景。

 

 朝倉刹那が存在せず、その痕跡のみが存在する世界。

 

 迷い込んだ自分。

 

 見知らぬ少女。

 

 そして、

 

「その口調、まさかお前・・・・・・」

 

 確信には至らない。そもそも、こんな物聞いた事すらない。

 

 だが、状況証拠は所定の容量を満たしつつあった。

 

「・・・・・・《絆》・・・か?」

 

 相棒の名を、呼びかける。

 

 確証は無い。

 

 だが、その聞き違える筈の無い口調と声音は、間違いなく自身の永遠神剣の物だった。

 

 それに対して少女は、その口元に柔らかい微笑を見せた。

 

「ようやく気付きおったか。存外、そなたも鈍いよの。」

 

 次の瞬間、

 

ゴンッ

 

「ピッ!?」

 

 かなり良い音と共に、セツナのゲンコツが《絆》の頭へと振り下ろされた。

 

「フム。」

 

 セツナは殴った掌を暫し見詰める。

 

「痛覚がある、と言う事は夢の類ではない、と。」

「い、いきなり殴るとは何事じゃ、このたわけ!?」

 

 目に涙をいっぱい溜めて猛抗議する《絆》。

 

 そんな《絆》を無視して、セツナは振り返る。

 

「で、これはどういう事なんだ? 説明しろ。」

「・・・・・・わらわは、どうやったら貴様がそこまで天然マイペースになれるのか説明してもらいたいのだがの?」

 

 なおも涙目のまま、痛む頭をさする《絆》。

 

「良いからさっさとしろ。」

 

 取り付く島も無いセツナに溜息を吐きつつ、《絆》は語り始めた。

 

 

 

「魔法、これが?」

 

 説明を聞き、周囲を見回してみる。

 

 ありふれた、と言ってしまえばあまりにもありふれた光景が周囲に広がっている。こんな物が、魔法だとでも言うのだろうか?

 

「そうじゃ。」

 

 焼き魚を頬張りながら、キズナは応えた。

 

 結局その後、汚れたキッチンを片付けて、失敗した料理を廃棄し、少女に代わってセツナがキッチンに立つ羽目になった。セツナ自身、それ程料理は得意ではない。だが少なくとも、経験はある為、それが皆無なキズナよりはマシだと判断できた為、だった。

 

 その出来た料理をテーブルに運び、食事を始めた頃に、キズナはようやく真相を語り始めた。

 

 曰く、「心象風景を脳内において投影する神剣魔法」との事だった。

 

「ようするにじゃ、今のそなたは、夢の中で行動しているのと同じと言うわけじゃ。」

「これが、夢だって言うのか?」

 

 にわかには信じ難い。ここまでリアルな夢があると言うのか?

 

「魔法じゃからな。そなたの記憶の中にある風景を再現し、都合の良い空間を作り上げているのじゃ。夢と言う物は、それを認識すればある程度の操作が可能となる。その能力を増幅し、見る時間を持続させる魔法と言うわけだ。」

「ほう?」

 

 事態は理解した。

 

 あとは、

 

「何で、こんな事をしたんだ?」

 

 動機だった。

 

 こんな魔法が使えるなど、知らなかった。正直驚いた事も認めよう。

 

 だがそうなると、なぜこんな事をしたのかが判らない。

 

 そんなセツナの質問に対し、キズナは持っていた箸をスッと置いて顔を上げた。

 

「判らぬか?」

「判らないから聞いている。」

 

 だんだん、イライラして来るのが、自分でも判った。

 

 そんなセツナに対し、対照的に冷静な表情を見せるキズナは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「セツナよ、そなたには今、休息こそ必要じゃ。その為にわらわは、この魔法を使ったのじゃ。」

 

 無言のまま睨みつけてくるセツナを、キズナは真正面から受け止めて返す。

 

「この世界なら、誰にも邪魔される心配は無い故、ゆるりと過ごす事ができよう。この中で、暫し休む方が、」

「余計な事をするな。」

 

 キズナの言葉を遮って、セツナは吐き捨てる。

 

第一なぜこいつがこんな事をするのか、それが全く理解できない。自分に休息が必要と? そんな物が必要無い事は、自分が一番判っている。

 

「俺達は今、任務の真っ最中なんだぞ。それを、こんなお遊びに費やして浪費する時間は無いはずだ。」

「ああ、その心配なら無用じゃ。この魔法はあくまで『夢』を増幅する魔法である故、現実世界で経過する時間はせいぜい数分程度であろう。」

 

 夢と言う物は、当人が思っているよりも存外見ていられる時間は少ないものである。例えば夢の中の時間で数時間が経過したとしても、現実にはせいぜい10分程度の時間しか経過していないのである。

 

「それに、そなたに拒否権は無いぞえ。」

「・・・・・・どう言う、意味だ?」

「この魔法の特性でな。ひとたび発動すれば、空間内の時間で24時間経過するまでは解除されぬ故。」

「何!?」

 

 思わず立ち上がる。

 

 起きてからまだ、1時間も経過していない。つまり、後23時間以上の時間をこの中で過ごさねばならないと言う事だ。

 

「と言う訳じゃ。諦めてそなたも、満喫するが良いぞ。」

 

 そう言ってカラカラと笑うキズナを、

 

 セツナは取り合えずもう一発その頭を叩いておいた。

 

 

 

 

 

 

 不自然な世界の中で、男女は愛を育む。

 

 

 

 

 

 男の腕の中で、女は微笑を浮かべる。

 

 目の前の海を前に、背から抱き締めてくる男の顔も同様であることは、容易に想像できる。

 

「今、幸せ?」

 

 問うて来る男に、女は溜息で返した。

 

 いちいち聞かねばならないほど、自分を信用していないのか? と。

 

「そうじゃないんだけどね。」

 

 男は声を上げて笑う。

 

「けど、君の口からその言葉を聞きたいんだ。」

 

 こんな所は、いつまで経っても子供っぽいと思う。

 

 だが、

 

「僕は、幸せだよ。」

 

 男は、臆面も無くストレートに告げてくる。

 

 そんな男の言葉に、女は自身が急速に赤面していくのが判った。

 

 

 

「フム。」

 

 鏡を前にして、キズナは自身の姿を眺める。

 

 時折、鏡に顔を近付けては、唸るような声を出している。

 

「これが、そなたの心の内面に映る、わらわの姿、と言うわけか。」

 

 本来、日本刀型の永遠神剣である《絆》には、人型など存在しない。しかしこの魔法の中にある限り、《絆》は活動する為の身体を得る事となる。当然、酒の中身のみでその事は不可能なわけで、注ぐ為の器が必要となる。

 

 では、その器はどこから持ってくるか?

 

 それは契約者たるエターナルの意識の中で形成される事になる。

 

 《絆》の人格と接し、セツナ自身が持つ知識が統合し、「多分こんな感じだろう」と言う《絆》の形が形成される。それがこの世界に投影されて人型となるのである。

 

 今のキズナは、黒髪に人形のような白い肌を持つ和風の出で立ちをしている。それはつまり、セツナが自身の中で、《絆》はこう言う感じだろうと言う風に解釈していたと言う事になる。

 

「ま、悪くは無いとだけ言っておくとしよう。」

「それはどうも。」

 

 思いっきり棒読みに応えるセツナ。今だその不機嫌さを収めきれずにいるようだ。

 

 そんなセツナを無視して、キズナは笑みを浮かべて振り返る。

 

「さてと、わらわは少々散策へ行く故、共をいたせ。」

「何で俺が?」

「そなた以外に、この場に誰かおるとでも申すのか?」

 

 勿論、そんな物は存在しない。だが、このまま言いなりになるのは癪に障るというセツナの一種子供じみた自意識が、反発の元となっていた。

 

「お前1人で行けばいいだろう。」

 

 どの道、ここはキズナ自身の魔法の中なのだ。自分がついて行かねばならない理由は無いし、第一、面倒くさい。

 

 だが、キズナは食い下がってくる。

 

「男が女をエスコートするのは当然の義務であり、甲斐性であると、この前聞いたぞえ。」

 

 どこから持ってきたのか、そんな余計な知識までひけらかして来る。

 

「誰だ、そんな阿呆な事を言ったのは。トキミか?」

 

 直属の上官であり、友人でもある巫女の顔を思い浮かべ、セツナは渋面を作る。自分の周りでそんなたわけた事をほざく者など、他に考えにくい。

 

「いや、ローガスじゃ。」

「あの野郎・・・・・・・・・・・・」

 

 自分達の盟主が、万事につけて多少軽い性格をしている事は知っているが、できれば自分の永遠神剣に余計な知識を与えるのだけはやめてもらいたいと言うのが、セツナの言い分だった。

 

「で、どうするのじゃ? そなた自身、自分が甲斐性無しのトーヘンボクじゃと言うのなら、まあ仕方ない。わらわ1人で出かけるとするがの?」

 

 安い挑発である。

 

 本来ならばセツナ自身、この手の挑発に乗る事は無いのだが、このまま行けばあと20時間以上も暇を持て余して過ごす事になりかねない。それはセツナとしても避けたいところであった。

 

「仕方ない。」

 

 そう言って重い腰を上げる。

 

「決まりじゃ。では、ついて参れ。」

 

 そう言うとキズナは、先に立って出て行こうとする。

 

 だが、

 

「待てキズナ。」

「ん?」

 

 呼び止められて足を止めるキズナ。

 

 対してセツナは、呆れたような顔をしている。

 

「お前、その格好で外に出る心算なのか?」

「ん、それがどうしたのじゃ?」

 

 その時キズナの格好は、起きた時の白襦袢のままであった。

 

 

 

 道行く人間が振り返って見る比率が、時間を追う増加していくのが判る。

 

 それに比例するように、隣を歩く少女の顔が徐々に赤くなっていくのも理解できた。

 

「あ、あの、な・・・セツナ・・・・・・」

「ん?」

 

 とても歩きにくそうに、キズナはセツナの横を歩いている。どうにも心細いと言った感じに、その手はセツナの袖を握っていた。

 

「こ、このスカートと言うのは、その、何とも変な感じのする着物じゃな。」

「そうか?」

「その、何と言うか、あまりにも頼りない。これが今時の婦女子の服なのかえ?」

 

 今キズナが来ている服は、淡い朱のTシャツの上から半袖Yシャツを羽織り、下は膝上程度のスカートを穿いている。先程までアップにしていた髪は下されて、時折吹く風になびいている。

 

 あの後、寝巻き姿のまま外に出ようとするキズナを押し留め、乏しい知識を総動員して女物の服を掻き集めて無理やり着せたものだった。ちなみにこれらの服も皆クローゼットの中にあった事を考えれば、相当に都合の良い世界であるらしいと言う事が伺えた。

 

だが、着慣れていないせいか、どうにも落ち着かないようだ。セツナの袖を握る一方で、スカートの裾を押さえている。

 

「こ、これでは下着が見えてしまうのではないか?」

「あ〜、一応生地的に捲れにくい構造にはなっているらしいぞ。」

「そ、そうなのかえ? とは言え、こう中に風が入ってきてスースーするのでは、どうにも・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナ自身、今まで必要性が無かったせいで女性の衣類には無頓着であった為、取り合えず聞きかじった知識を披露してお茶を濁すに留める。どの道このままでは、歩きにくくて敵わない。

 

「そ、それに、何やら周囲からの視線を感じるのじゃが? ここにはわらわ達の敵でも潜んでおるのかえ?」

「いや、ここはお前の魔法の中だろうが。」

 

 苦笑交じりに突っ込みを入れてみた。

 

 実際、感じた視線は決して気のせいなのではないのだが、それは敵意等のマイナス的なものではなく、どちらかと言えば好奇や興味の類に類推するものである。

 

 擬人化したキズナは、黒髪に陶器のような白い肌を持つ、まるで名工の手による人形のような外観を持つ。これはキズナ自身の言に寄れば、セツナ自身のイメージが投影した結果との事であるが、そう言われれば確かに、初めて《絆》と出会った頃は「古代和風王朝の姫君」のような印象を持っていた事を思い出す。

 

 何はともあれ、彼女が水準を遥かに凌駕する美少女である事は衆目の視線が無言のまま雄弁に物語っていた。

 

 もっとも、向けられる当人にしてみれば居心地の悪い事この上ないようだが。

 

「うう〜・・・・・・セツナよ、もそっとゆっくり歩いてはくれぬか。」

 

 そんな弱音を吐いてくるあたり、普段の凛然とした雰囲気からは窺い知ることが出来ない。こんなんでも、第二位の剣位を持つ永遠神剣なのだから判らない物である。

 

 そんなキズナの様子を見て、セツナは自然と笑みが零れていた事に気付き、それと悟られないように唇を引き締めた。

 

「さて、せっかく久しぶりのハイペリアだ。久しぶりにこの世界の食事にでもあり付きたい所だが、」

「わ、わらわはこの苦行から解放されるのであらば何でも良い。」

 

 自分で外に行こうと言い出したくせに、と心の中で苦笑気味に呟きつつ、セツナは「男の甲斐性」とやらを発揮して、キズナを手近な喫茶店までエスコートした。

 

 

 

 木目調の落ち着いた雰囲気が、昂ぶる心を静めてくれる。

 

 込まない時間なのか店内に人影は少なく、2人はすぐに席を確保することが出来た。

 

「ふむ。」

 

 店に入ってようやく落ち着いたらしく、キズナは興味深そうに周囲を眺めている。

 

「あまりキョロキョロするな。」

「何故じゃ?」

「一緒にいるこっちが恥ずかしい。」

 

 そう素っ気無く告げて、運ばれてきたコーヒーに口を付ける。

 

 旨い、と感じてしまう。ここ最近、食事に気を使った記憶が無いから特にだろう。

 

 元々、食事に関しては一切気を使う性格ではなかったセツナだが、戦い始めた頃、周りに料理自慢者が多かった影響で、大分舌が慣らされてしまった。お陰で再び単独行が多くなった頃には、食に関していささか苦労させられた記憶があった。

 

「お、来たか。」

 

 正面から、歓喜の声が上がる。

 

 見ると、キズナが頼んだイチゴのショートケーキとアイスココアが運ばれてきたところだった。どうやら店に入った時点で、この2つを狙っていた節がある。

 

「それでは、頂きます。」

 

 きちんと両手を合わせた後、フォークを手にとって、見よう見まねで切り分けたショートケーキを口に運ぶ。

 

「うむ、美味じゃ。」

 

 蕩けるような甘さに自身の脳まで蕩けそうなほど、白磁のような頬を紅潮させて笑みを浮かべるキズナ。

 

 対してセツナは「良かったな。」と気の無さそうな返事を返す。

 

「人間は普段からこのような物を食しておるのか。これは理不尽と言うものであろう。」

 

 こう言う場でなければ神剣の身であるキズナが人間の食べ物を食べる事はできないだろう。そう考えると、この馬鹿げた魔法も大したものだと思えてくる。

 

「キズナ。」

「・・・・・・ん、何じゃ?」

 

 既にケーキの半分近くを食べ終えていたキズナは、相棒からの無粋な呼びかけに顔を上げる。

 

「ちょっと顔出せ。」

「何じゃ、今わらわはケーキで忙しいと言うに、」

「良いから出せ。」

 

 強引なセツナの態度に不満を抱きつつ顔を突き出すキズナ。その口元に、セツナが手にした布巾が当てられた。

 

「んむっ」

「口元にクリームが付いている。あまりみっともない真似はするな。」

 

 そう言って、キズナの口元を丁寧に拭ってやる。

 

「う、うむ。済まぬ。」

 

 口元を拭ってもらうと、少し恥ずかしそうに声を落とすキズナ。

 

 そんな彼女の様子を無視して、セツナは再びコーヒーに口を付けた。

 

 

 

「そう言えばセツナよ。」

 

 食べ終えて暫くすると、キズナの方から話しかけてきた。

 

「先程から、どうにも外が騒がしいような気がするのじゃが、なぜじゃ?」

 

 言われて見ればと思い、窓の外に目を転じる。

 

 確かにセツナの記憶にあるよりも、随分と通りの人通りが激しいような気がする。

 

「何だ、祭りでもあるのか?」

 

 言ってから自身の失言に気付き、ハッとする。

 

 祭り。

 

 それ程のイベントを、この目の前の少女が見過すとは到底思えない。

 

 身構えた瞬間には、既に服の袖を引っつかまれていた。

 

「行くぞセツナ。遅れるな!!」

「ま、待て、ここの勘定がまだだろうが!!」

 

 逸るキズナを抑えつつ、これから行く先で馬の手綱は売っていないものだろうかと真剣に考え始めたセツナが居た。

 

 

 

 通り一面に露天が立ち並び、まさしく人の波と形容してもいい光景が広がっていた。

 

 大通りを丸々使った祭りは、まさに喧騒の一言に尽きた。

 

「驚いたな。」

 

 雑踏の中に足を踏み入れながら、セツナは最早言葉も無かった。

 

 セツナが住んでいた頃はこんなイベントは無かった。という事は、これもキズナの魔法の効果と言う事だろう。よくもここまで無駄な事にオーラフォトンを割ける物だと思ってしまう。

 

 見る物、触れる物、その全てが明日には消えてしまう幻とは言え、その光景はハイペリアの巷で行われる祭りのイメージと寸分違わぬものといってよかった。

 

 と、その時、先程まで袖に掛かっていた圧力がゼロになっている事に、唐突に気付いた。

 

「・・・・・・キズナ?」

 

 先程まで傍らに居たキズナの姿が消えていた。

 

 舌打ちしつつ、周囲を見回す。この人ごみだ。一度見失えば探すのは困難だろう。

 

 だが幸いにして、数メートルと離れていない場所に同伴者の姿を見出し、フッと息を吐いた。

 

「何やってるんだ?」

「おう、セツナよ。これは何じゃ?」

 

 見ると、水の中に小さな魚が蠢いているのが見える。所謂、金魚すくいという奴である。

 

「これはまた、お約束な・・・・・・」

「ん、何か言うたか?」

「いや。」

 

 仕方無しに、セツナはキズナの傍らに座り込んだ。

 

「じゃあ、やって見るか。」

 

 そう言うとセツナは財布から金を出し、網を2本求める。

 

「これで、この魚を掬うのかえ。どれ、」

 

 勇むように水に網を入れるキズナ。

 

 しかし、

 

「あっ!?」

 

 短い声と共に、手にした網が破れてしまった。

 

「む、難しいのう。」

 

 破れてしまった網を残念そうに眺めながら、溜息を吐くキズナ。

 

 そんなキズナを横目に見ながら、セツナはスッと目を閉じた。

 

 セツナは金魚掬いの経験が無いわけではないのだが、いかんせんそれは既に歴史の遥か彼方に消え去った記憶の世界での話である。このままやれば、間違いなくキズナと同じ結果に終わる事は目に見えている。勿論、勝負事に関しては公正さも重要な要素である事は認めているが、生来の負けず嫌いの性格が、この時なぜか、セツナに勝利を要求してきた。

 

 己の内に呼びかけ、エターナルとしての力を呼び起こす。

 

 掌に集まった僅かなオーラフォトンが網目の部分に集中し、本来なら一合しただけでも崩れるほど脆い部位を瞬間的に強化する。

 

 そのまま水の中に突っ込むと、狙った一匹を掬い上げた。

 

「おう、お兄さんやるねえ。」

 

 金魚屋の主人が、満面の笑みを浮かべる。対して、隣に居る少女は、呆れ気味の視線をセツナに向けてきた。

 

「セツナ、それはちと卑怯では無いかえ?」

「これくらいの反則は大目に見ろ。」

 

 シレッとした調子で答え、2回目はオーラフォトンを抜いて水に突っ込むと、案の定網は破れて終了と相成った。

 

「ほれ。」

 

 掬い上げた1匹を袋に入れてもらい、キズナに渡す。

 

「よ、良いのか?」

「その為にやったんだ。」

 

 そのまま、戸惑うキズナに金魚を押し付ける。

 

 それは決して大きいと言うわけではなく、他と比べて色彩に妙がある訳でもない。

 

 だが初めて貰った金魚と言う物が、まるで今回の幻想の象徴であるかのように、キズナの心に捉えられる。

 

 知らず、顔には笑みが浮かんでしまう。

 

 何だかんだと理屈をごねていた割りに、セツナも楽しんでいる様子で、キズナとしても誘った甲斐があったと言う物だ。

 

「さて、次はどこへ行くかのう?」

 

 楽しげに告げるキズナ。

 

 その背中を追いながらセツナは、本人だけが気付かない微笑を浮かべていた。

 

 と、

 

「おお、あれは何じゃ?」

 

 すぐに「キズナレーダー」が次の標的を発見したらしく、その方向に興味の砲弾を自身の身体ごと発射する。

 

 見ると、その屋台には多くの景品がズラリと並び、何やら鉄砲を持った親父が煙草を加えて待ち構えている。

 

 明らかに無言で「やってけや兄ちゃん」と言う言葉を吐いている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 内心、セツナは無視して去りたい心境ではあった。

 

 だが店の親父の雰囲気はセツナを掴んで放さず、同行者の少女は既に蜘蛛の網にかかってその目を輝かせている。

 

 溜息を吐くと、財布から再び小銭を取り出す。

 

 1回200円で、コルクの弾丸が5発。それが、セツナの手持ちの戦力である。

 

 親父から空気銃を受け取ると、銃口の側から弾丸を装填する。

 

「よく狙うのじゃぞセツナ。」

 

 横からキズナの、案じるような、それでいてどことなくからかうような声が聞こえてくる。ようするに、セツナが失敗する事を望んでいるのだ。

 

 そうなると、セツナにも意地と言う物があるわけで、よく狙いを定めて、引き鉄を引く。

 

 そして、報われぬ願いと言う物が往々にして存在する事を再確認した。

 

 セツナの放った弾丸は、狙いから僅かに逸れて、背後の天幕を叩くに留まった。

 

「フッ」

 

 外したセツナを見て、なぜか勝ち誇ったように短く笑うキズナを横目に、次弾を装填する。

 

 今度は先程よりも、より高度な次元で神経を集中する。

 

 殺気こそ浮かべていないが、その存在は既に戦場に居るレベルにまで達し、小規模な台風のように、その身を中心にして場を威圧する。

 

 引き鉄を引くと同時に、弾丸が放たれる。

 

 その一瞬後、標的となったヌイグルミが、音を立てて地面に落ちた。

 

「お、大当たり〜〜〜」

 

 親父も先程までの威勢は地平の彼方へ駆け去り、後には棒読みの台詞だけが流れる。

 

 その声を聞きながら、今度はセツナが勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 

「ムッ!?」

 

 その様子にさすがにカチンと来たのか、

 

「貸せ、わらわがやる!!」

 

 そう言い放ち金魚をセツナに押し付けると、空気銃を奪い取って構える。

 

 だが、

 

「う・・・・・・」

 

 残り3発の銃弾のうち、2発を無為に消費した時点で落胆気味に呻いた。

 

 どれ程狙っても的に当たらないのである。

 

 コルク弾は軽い為に空気抵抗に弱く、ちょっとした条件で軌道が逸れてしまうのだが、初めて体験するキズナには、当然そのような事理解できなかった。

 

 そんなキズナの様子に苦笑すると、セツナはその小さな身体を背後から抱きすくめるようにして両手を取った。

 

「な、何を!?」

「良いから、もっと力を抜け。」

 

 急接近したセツナの顔に戸惑いながら、その顔が紅潮するのが判った。

 

 セツナは元々、それ程背が高いわけではないが、それでもキズナよりも頭1つ分高い。そんな身体に背後から抱きすくめられて、キズナは妙に鼓動が逸るのを感じた。

 

「ほら、ちゃんと前見ろ。」

 

 言われて、慌てて照準を合わせる。

 

「良いか、さっき撃ってみて判ったが、この銃は気持ち右に逸れる癖がある。だから、それを考慮して・・・」

 

 良いながら照準を微調整し、引き鉄を引く。

 

 すると、これまで命中しなかったのが嘘のように、先程とは別のヌイグルミを直撃した。

 

「大当たり〜〜〜!!」

 

 セツナの時とは大分違って、張りのある親父の声が響く。

 

「な、言った通りだろ?」

「う、うむ。」

 

 笑い掛けてくるセツナに、キズナはなおも頬を朱に染めたまま頷いた。

 

 なぜか今、

 

 この相棒たる少年と身体を寄せ合う事で、胸を躍らせている自分が居る事に戸惑いを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 戦火とは時として、思わぬ形で悲劇を演出する。

 

 

 

 

 

 死に掛けた男を前にして叫ぶ女の声も、徐々に張りがなくなって来ていた。

 

「・・・・・・だい、じょうぶ?」

 

 まだ、辛うじてこの世に留まる事を許された男の口より、女を気遣う言葉が発せられる。

 

 対して女は、相変わらずの口調で馬鹿者と返す。

 

 自分が死に掛けているのに、他人の心配をするとは何事かと。

 

 対して男は、口元を緩めて笑った。

 

「うん、それくらい元気なら・・・・・・まだまだ・・・大丈夫だね。」

 

 そう言うと男は、最後の力を振り絞って女の身体に手を添える。

 

「君は、一時眠るかもしれない。けど、遥か遠い未来に、再び目覚めて、その時代の人達の為に力を振るってくれるだろう。その時まで、お休み。」

 

 最早、言葉にならない。

 

 自分で何を叫んでいるのすら判らない。

 

 やがて、意識がゆっくりと反転する。

 

 それが、女にとっての最後の記憶であった。

 

 

 

 祭りを一回りした後、2人は揃って川縁の公園まで来ていた。

 

 既に陽は水平の彼方に沈み始め、黄昏と闇の帳とが天空で同居しようとしていた。

 

「今日はなかなか楽しかったのう。」

 

 散々セツナを引っ張りまわして満足行ったのか、キズナは草むらに腰を下して天を仰いでいる。

 

 その手には先程セツナに取って貰った金魚の入った袋が握られ、今もその僅か拳大の仮住まいの唯一の住人は悠々と泳ぎ回っている。また傍らには、2人で取ったヌイグルミが仲良く並べられ、まるで引き合わされた恋人であるかのように寄り添っていた。

 

「それは良かったな。」

 

 素っ気無く返すセツナの目も、空へと向けられている。もっともこちらは、後どれくらいでタイムリミットを差すのか計っているようだが。

 

 そんなセツナを見上げて、キズナは口を開いた。

 

「どうじゃ、セツナよ。少しは、心が軽くなった気がせぬか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて、少し黙り込む。

 

 確かに、

 

 認めたくは無いが、今朝と比べて心が軽くなったような気がした。そう、例えるなら淀んだ空気を部屋から解放し、新鮮な空気と入れ替えたかのように、胸がスッと下りたようだった。

 

 だが、それを素直に認めてしまうのも何となく癪な訳で、

 

「さあな。」

 

 セツナとしては、そんな有り触れた言葉でお茶を濁しておいた。

 

 そんなセツナに、キズナは苦笑で返す。

 

「フッ、意地っ張りめ。」

 

 セツナの子供っぽい態度は、何やら反抗期の弟を見ているような心境だった。

 

 だが、そんなキズナの顔が、スッと引き締められる。

 

 まるで何かを決意したかのような表情の後、再び口を開いた。

 

「この魔法はのう、」

 

 何か重要な事を話し始めたと察したセツナも、振り返って聞き入る。

 

「そなたの前に、わらわと契約しておった男が開発したものじゃ。」

「俺の前に?」

 

 《絆》自身、かなり古くから存在する永遠神剣だが、過去に起きた大戦で重傷を負い、セツナに出会うまで永らく眠っていたという過去を持つ。恐らく、その頃の契約者の話なのだろう。

 

「神剣魔法の開発においては、当時それなりに名の通った男であった。そして・・・・・・」

 

 そこで一旦言葉を区切るキズナ。

 

 何かに耐えるように暫し口を噤んだ後、想いと共に言葉を吐き出した。

 

「わらわにとって、かけがえの無い男であった。単に意思があるというだけの無機物に過ぎぬわらわを1個の人格として遇し、そして、」

 

 愛してくれた。

 

 風に乗り、声が一帯に散る。

 

 その言葉を、セツナは無言のまま聞き流した。

 

「無論、わらわは永遠神剣、そやつはエターナル。想いを交える事ができても、世の恋人のように身体を重ねる事は叶わぬ。そこで、そやつが苦心の末に作り出したのが、この幻想の世界であった。」

 

 現実で出会う事叶わぬのであれば、せめて幻想の中だけでも共にありたい。

 

 そう願った末に生み出されたのが、この魔法だった。

 

 そこまで話すと、キズナは唐突に立ち上がった。

 

 無言のままその場に佇むセツナを置いて波打ち際まで来ると、手の中にあった金魚を水の中へと放してやった。

 

「・・・・・・良かったのか?」

「うむ。」

 

 あっという間に見えなくなった赤い影を追いながら、キズナは頷く。

 

「放っておいても、間もなくこの世界は消えてなくなるのじゃ。なれば、ほんの一瞬であっても、自由を謳歌させてやりたい。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 振り返るキズナ。

 

 その瞳から発せられた光が、真っ直ぐにセツナを射抜く。

 

「セツナ、そなた、何を生き急いでおる?」

「え?」

 

 一瞬言葉に詰まる。

 

キズナの言葉は、無形の針となってセツナの心の奥底にある癌を的確に突き刺したのだ。

 

「判らぬとでも思うておったのかえ? これでもわらわは、数周期の時をそなたと共に戦ってきた相棒ぞ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは言葉を反せない。あまりにも核心を突いた一言は、少年から反論の武器を奪い去っていた。

 

「そなたの心に誰の影があるのか、判らぬでもない。だがこれ以上、過去の鎖で自らを縛って何とする? そのような事、あの小娘とて望んでは、」

「言うな!!」

 

 遮るように、セツナは感情のまま言葉で切りつける。心の傷を抉られ、さすがのセツナも平静ではいられなかった。これ以上自身の心に踏み込んでくるのなら、たとえ相手がキズナであっても許す気は無かった。

 

 だが、そんなセツナに対し、キズナは矛先を変えて語り掛ける。

 

「かつて、死に瀕した折・・・・・・」

 

 あの時、既に《絆》の身体は半ばまで砕け散り、マナの塵へと還ろうとしていた。

 

 それを救ったのが、恋人であったエターナルである。

 

 彼は自らの持つ、最後のオーラフォトンを《絆》に分け与える事で、その命を永らえさせたのだ。

 

「そなたは、命を賭けて何をしておるのじゃ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友情を司る少女と死神の名を持つ少年は、暫し無言のまま睨みあう。

 

 生き急いでいる。

 

 まさに先程キズナに指摘された通り、セツナはただ、埋まるはずの無い心の空虚を埋めようとしてあがいているだけだった。

 

「今は立ち止まり、周りに目を向けてみる事も肝要ぞ。さすれば、そなたの求める物も自ずから見えてこよう。」

 

 そう言い終えると同時に、視界の中で空間が歪む。

 

「な・・・これは!?」

 

 戸惑うセツナの足元も波打つように歪み始め、身体が渦の中に巻き込まれていく。

 

「魔法を解いた故な。現実の世界に戻ろうとしておるのじゃ。」

「いや、まだ24時間経ってないぞ!?」

 

 まだ確実に12時間前後の時間は残っているはずだ。

 

 そんなセツナの言葉に、キズナはバツが悪そうに頬を掻いた。

 

「あ〜、済まん、あれは嘘じゃ。」

「なっ!?」

「止めようと思えば、わらわの意思で止められたのじゃよ。」

 

 そう言って悪戯をした後のように、笑みを浮かべるキズナ。

 

 そんな彼女に何か一言言ってやろうと思った矢先、視界は完全に反転して行った。

 

 

 

 ゆっくりと目を見開く。

 

 鉄錆のような匂いが鼻腔を突き、ここがどこなのか改めるまでも無く伝えてくる。

 

 傍らに置いた相棒の存在を確かめ、手に取った。

 

《夢は、見れたかえ?》

 

 白々しい雰囲気と共に送られてくる言葉だが、常の余裕ぶった声音ではなく、どこか気遣うようなニュアンスが含まれている。

 

 であるから、セツナとしても気勢を制されて、結果として彼女を咎める事ができなかった。

 

「・・・・・・さあな。」

 

 先程と音を同じくする返事は、はなはだ独創性を欠く物ではあったが、それこそがセツナの心情を如実に表していた。

 

 自分が生き急いでいる。

 

 それは、当のセツナ自身気付いている事だった。

 

 永遠戦争が終わり、愛する少女に背を向けた時、セツナは己がエターナルになった全ての理由を失ってしまった。後に残ったのは、抜け殻のように立ち尽くす死神が1人。

 

 この数周期セツナが歩んできた道は、まさに死体と血糊によって舗装されていた。しかもその「戦果」が全てセツナ1人で挙げられた物であることを考えれば、自身、いかに自暴自棄になっていたかが伺える。

 

「今は立ち止まり、周りを見ろ、か。」

 

 今の自身に大切な物があるのだろうか、と自問してみる。

 

 数周期来の友人、多くの仲間達、そして、

 

 右手に持った《絆》をチラッと見やる。

 

 こいつもある意味、自分にとってかけがえの無い物と言えるだろう。

 

 自分は、多くのものに支えられている。

 

 闇雲に走っている時には決して判らない、立ち止まってこそ初めて見えてくる事実もまた、そこに存在した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手に持った《絆》を、背中に括り付ける。

 

 暫くは時間がかかるかもしれない、だが、始めの一歩を刻まねば答に至る道が開かれぬのも、また事実である。

 

「行くか、《絆》。」

《どこへじゃ?》

 

 どこか楽しむような声。対するセツナの応えも、先刻までと違って張りを感じる。

 

「望むなら、果てまでも。」

《良かろう、そなたが拒まぬ限り、この身滅ぶその時まで付き合おうぞ。》

 

 相棒の快活な応えが、空っぽになった心の内に染み渡るようだった。

 

 歩き出すセツナ。

 

 その背中に向けて、

 

 黒い髪の少女が笑いかけたような気がした。

 

 

 

 

 

大地が謳う詩

 

 

 

外伝 〜幻想恋姫〜     終

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

 

おしょう様に依頼した111111キリ番ヒット記念SSに対する御礼として書いたカウンターリクエストSSです。

お題は「擬人化した永遠神剣《絆》とセツナのラブラブな話」

構成要素は「2つのIF」と「過去に縛られて生き急ぐ男と過去を振り切った女」でした。

如何でしたでしょうか?