天使の記憶

―――泣いている。

 なのはとフェイト。二人と共にバインドをかけられ、四角錐を模した檻に入れられた、相沢祐一は四肢に力を込める。
 幾重にも絡みつくそれが軋みを上げるが、しかし解けることはなかった。
 バインドとは、鎖と言う名のプログラムだ。
 それを外すにはプログラムを解析し、構成そのものを破壊するしか手段はない。

―――泣いている。

 しかしそれでも、祐一は抗う事を止めない。
 薄い、しかし破ること叶わぬ檻の向こう。仮面の男たちがなのはとフェイトに姿を変えた。
 少女に、八神はやてに向けて何かを告げる。
 そしてヴィータとザフィーラを模した“人形”に向けて、魔力を放った。
 夜を照らすそれは、終焉への引き金。 

―――泣いている。

 そう、泣いている。
 はやてが一人で泣いているのだ。
 大切な人たちを失って、泣いているのだ。
 だから行かねばならない。
 大丈夫だと、助けてみせると、言ってやらなければならない。

 絶叫する。
 それは八神はやての、絶望への憎悪。
 闇の書が主を飲み込むのと、祐一の咆哮が轟くのは同時だった。





Blazing Souls

Code.1 : 夜天の翼 - Wing of the night sky -
09.ただ前を見つめて





 フェイト・テスタロッサは、目の前の出来事に我が目を疑った。

(バインドを、力ずくで!?)

 断ち切った。
 自分となのはが、バインドを解析し破壊するよりも早く、祐一はそれを力でねじ伏せてしまった。
 それは本来ありえない。
 バインドという名の暗号を、工程を無視して破壊するなど。
 フィオとシンクロしているとはいえ、彼女は魔力を蒐集され身動きが取れないはずだ。
 つまり、これは祐一自身が行ったということ。
 彼はあらゆる工程を飛び越えて、無理矢理にバインドを外してしまった。

「はやて―――!」

 何故、と言う疑問は、祐一の一声で掻き消えた。
 彼の視線の先、はやての姿はない。
 だが彼女のいたその場所には、一人の堕天使が立っていた。
 ゆれる銀の髪は長く、腰ほどはあろうか。
 真紅の瞳に切れ目。背丈は大人のように高い。
 漆黒の衣を身に纏い、体中には血のように真っ赤なベルトが巻きついている。
 頭に一対、背中に二対。夜に溶け込むような黒い翼を生やした彼女は、まさしく堕天と呼ぶに相応しかった。
 そして堕ちた天使は謳う。嘆きの夜想曲を。

「一体幾度、この悲しみが繰り返されれば済むのだろうか……」

 それは寂しい、悲しい声だった。
 終末へ向かうしかない己を、慰めるように。
 朽ち行くしかない己を、蔑むように。
 瞳より伝う涙は、己の為か。主の為か。

「我は闇の書。我が力の全ては―――」

 闇の中、闇が溢れる。
 頭上。闇の書が掲げた右手から、巨大な球体が現れた。
 それは力の顕現。
 砕く為だけの一撃。
 《解き放たれる魔性デアボリック・エミッション》。
 
「祐一さん、後ろに下がって!!」
「主の願いを、そのままに」

 なのはの声が、闇の書と重なる。
 放たれるのは、闇より深い漆黒で染め上げる空間攻撃。
 反射的に《双鎧デュアルクラスト》を張ろうとした祐一は、しかしそれを止めなのはの後ろに下がった。
 発動が出来ない。
 神経を研ぎ澄ませばフィオの浅い息遣いが聞こえてくるが、反応は小さい。
 ユニゾンはが出来ていることが奇跡と言ってもいいだろう。銀髪はそのほとんどが元の黒に染まりきっており、最早何とか繋がっているという状態だった。
 
《Round Shield》 

 レイジングハートが展開した防御壁と、デアボリック・エミッションが衝突した。
 深淵たる一撃は魔力を喰らい、防御の壁を削り取る。
 このままこの場にいれば、障壁は崩され直撃を浴びることになるだろう。
 それをさせるわけには、いかない。
 だから祐一は一つの決断を下した。

(管制デバイスに異常ありとし、《一匹狼シングルアクション》に以降。以後全ての魔法発動コマンドトリガーをマスターが使用する)
《Yes, my lord.》

 機械的な声色と共に、全ての魔法プログラムの使用権限が祐一に明け渡される。
 フィオにその一切を任せてきたそれを、祐一は自分のものとした。
 彼女のように緻密な出力調節が出来るわけでもない。
 それでもこの状況、この場面ではこうするしか手段がない。

「二人とも、掴まれ!」

 言うや否や祐一はなのはとフェイトの腰を抱き、《駆霊クイックファントム》を発動させる。
 加減が利かず出力が全開なのは仕方がない。この場面ではむしろ好都合と言い換えてもいいだろう。
 闇から夜空に這い出る。
 そのまま祐一は、闇の書から距離をとるべく空を全力で駆けた。



刀@   刀@   



「持つかな?」
「暴走開始の瞬間までは、何とか時間を稼いでもらわなければ」

 闇の書から数キロ先、二人の男が立っていた。
 仮面の男だ。
 一人は結界を展開し、一人は一枚のカードを片手で弄んでいる。
 そのときだ。
 周囲に魔力が生成され、結合。
 男を縛る縄となる。

「な―――!」
「―――に!?」
「ストラグルバインド。相手を拘束しつつ、強化魔法を無効化させる」

 背後からの声に反応すれば、そこには一人の少年がいた。
 クロノ・ハラオウン執務官。
 S2-Uを地面に叩くと、男の体が光り始めた。

「変身魔法も、強制的に解除するから……」 

 仮面がはがれる。
 光が収束する頃には、二人の本当の姿が露になっていた。
 それはクロノが良く知る人物。
 己を鍛え上げてくれた、師と呼べる人。

「アリア。ロッテ……!」



刀@   刀@   



「っつ!」
「大丈夫、なのは?」

 闇の書から数百メートル離れたビルの陰。
 魔法の効果範囲から外れたそこで、祐一は一旦二人を下ろした。
 デアボリック・エミッションの攻撃を一人で塞ぎ切ったためか。なのはは顔をしかめ手首を押さえる。

「あの子、広域攻撃型だね。回避は、難しいかな……」

 そう呟くとフェイトはバルディッシュに指示を出し、姿を元のものへと戻す。
 僅かばかりの攻撃でも致命傷になりかねないソニックフォームでは、周囲一体を攻撃する広域型との相性が悪いからだ。
 
「祐一さん。祐一さんは一旦アースラに―――」
「いや、俺も此処に残る」
「でも……」

 なのはの言うことは分かる。
 今の祐一は魔力はなのはとそれほど総量は変わらない。
 融合した双方の魔力を共有することが、融合型における利点の一つであるが故に、フェンリルロアーの魔法は常に魔力を消費する持続型がほとんどだ。 
 唯一瞬間的に発動できる《神討テンペストブロウ》も、フィオのバリア破壊があればこそ必殺足りえるもの。
 今身動きの取れない彼女に、それを求めるのは酷である。
 それでも祐一は引くことを拒んだ。

「ああなったのは、俺の責任でもある。だから最後まで戦わせてくれ」
「祐一、それは―――!」
《しゃー…ないでしょ。……言ったら、聞かないんだから…》
「フィオ! 大丈夫か!?」
《大丈夫…じゃ…ない……。でも…ゆーいちがやる…なら、私も手伝う》

 呼吸が荒い。
 恐らく相当魔力を吸い取られたのだろう。構成しているだけで精一杯なのかもしれない。
 だが、彼女はここで無理だとは言わない。
 祐一に、退かそうなどとはしない。
 それは彼女の意地でもあり、祐一のパートナーということへの誇りである。
 自分は何だ? 何の為に存在している?

《私は…フェンリルロアー管制プログラム……。パート、ナーである…相沢祐一と戦うことこそ……私の存在意義よ》
「……ありがとう」
《お礼は、いいから…助けてあげて》

 瞳を閉じる。
 そして網膜の奥に焼きついた、先の光景を思い出した。
 闇の書は、泣いていた。
 何度も何度も繰り返される、破壊と暴走に泣いていた。
 
―――助ける。

 胸を締め付けるのは、焦燥に似た感情。
 何故なのかは分からない。それでも、何としてでもと思う気持ちが自分にある。
 それははやてに対する救いたいと思う気持ちなのだろうか。
 闇の書をこんな結末から助け出したいからなのだろうか。
 それとも、俺は―――

「なのは!」
「フェイト!」

 意識の海に飲まれそうになったところで、二人の声によって引き戻される。
 飛んでくるのはアルフとユーノだ。
 それにフェイトが返事をしようとしたとき、空間が歪んだ。
 結界。
 それは町一杯まで広がり、なのはたちを閉じ込める檻となった。

「……逃がさないって、そういうわけか」

 拳を握り締めて、祐一はここから見えない敵に向けて睨みつけた。
 どうせ。どうせはやてはあの中。どちらにせよ何かしなければ始まらない。

「なら! ブン殴って引っ張り出してやる!!」


  
刀@   刀@   



「君かね、春奈君」
「ええ、私です。まあ最初に気付いたのはクロノ君ですけど」

 管理局本局の一室。
 クロノがつれてきたアリアとロッテ。そして彼女等の主であるギル・グレアム提督。
 対面にはクロノと春奈がいた。

「局のサーバーにすんなり入れる。そんなやつは、よっぽどの天才か……内側の人間だけですから」
「リーゼたちの行動は、貴方の指示ですね? グレアム提督」

 それに対し、異を唱える者たちがいた。
 リーゼ姉妹だ。

「違う! これは、これは私たちが独断でやった」
「父様は関係な―――」

 だがそれをグレアムは手で遮る。
 もういいと、その動作で彼の意思が言葉にならずとも分かる。
 だから二人は口をつぐんだ。
 それを見届けて、クロノは話を続ける。

「封印方法は、主そのものを封印して、次元の狭間か氷結世界に閉じ込める。……そんなところですね?」
「ああ。そうすれば闇の書の転生機能は働かない」

 だがそれは違法だと、グレアムは理解していた。
 方法として、人道として、侵してはならないことだ。
 それでも彼は終わりにしたかった。終わって欲しかった。
 多くの人が、多くの家族が、あの闇の書によって傷つけられてきたのを見てきたから。

「いつかは―――」
「?」
「いつかはそれでも、誰かの手によって封印は解かれる。欲が、希望が、望みが人を飲み込むから。だから、それでは何の解決にもならないんです」

 その言葉に、グレアムは目を見開いた。
 ああ、これがクロノ・ハラオウンか。
 あの泣いていた幼い子供か。
 闇の書に親を奪われ、それで猶この道を選んだ少年か。
 強い。
 父の面影が重なって見える。
 辛いと、苦しいと思っていたのは自分だった。
 弱いと嘆いていたのは、自分だけだった。

「んじゃあそっちはそういうことで。こっちの用件を」

 今まで口を開かなかった春奈が、そう言って歩き出した。
 歩む先にはリーゼアリア。
 ゆっくりと近づき、そして彼女の胸倉を掴み上げる。

「アンタ、フィオからコア抜いたわね? 何考えてんのよアンタは!!」
「何って…ああすれば祐一君戦えないでしょ? あのままいればあの子だって巻き込まれ―――」
「巻き込まれない!? ふざけんじゃないわよ!」

 モニターが展開される。
 それは地球の、闇の書のいる場所だった。
 ビルを倒壊させて、戦塵が舞い上がる。
 それでも戦う人がいた。
 それでも進む人がいた。

「あいつはまだ! 戦ってるのよ!!」

 そして相沢祐一が、拳を握り殺到する。



刀@   刀@   



 駆ける。
 地を這うように、行く手を阻む逆風を拒むように、低く低く。
 迷うことなく、気負うことなく、真っ直ぐに走り抜ける先にいるのは、銀髪の堕天使。

「ショットぉ!」

 自分の母の台詞を真似ながら、祐一は闇の書に拳を叩き込んだ。
 右ストレート。
 下あご狙いに撃たれたそれを、闇の書は右手で掴む。
 その様は何事もなかったかのよう。そして邪魔な物を払い除けるように、そこから祐一ごと後方へ投げ飛ばす!

「―――な!?」

 反応できずにそのまま吹き飛び、祐一は地と平行に低空飛行する形となる。
 進路上のビルを巻き込み、軌跡に残るのは残骸のみ。
 舌打ちしながら祐一は、地面を叩き空へと昇った。 
 気配。
 祐一が感じ取ったそれは、自分の真上から。
 その正体は言うまでもない。闇の書だ。

「―――」
「ちぃ!」

 裏拳が叩き込まれ……ない!
 振り下ろされるよりも早く、祐一は闇の書の背後に回りこむ。
 もっと強く、もっと硬く。
 さあ叩き込め。お前の、お前だけの―――

「喰らい知れええええ!!」

 黒が混じる、白光の一撃が貫いた。
 
「手ごたえぁ!」
「撃ちぬけ、雷槍」
《Thunder Smasher》

 その瞬間、煙の中から祐一を撃ち抜く雷撃が繰り出される。
 咄嗟に魔力を固めた右腕で防ぐが、勢いに押し流された。
 サンダースマッシャー。
 蒐集行使。フェイトのリンカーコアから魔力を吸収した際に、彼女の魔法を物にしたのだ。
 煙が晴れた。
 そしてその中に立つのは、無傷で立ち尽くす闇の書。

《腹…立つ……》
「涼しい顔しやがって。今のじゃ足りないってんだな!」

 サイドから、なのはとフェイトが直射魔法砲撃が発射された。
 それにすぐさま反応し、闇の書は両手を伸ばし障壁を張る。
 
「祐一!」
「分かってるさ。急かすなって!!」

 足りない。
 まだ足りない。
 あんな一撃じゃ届かない。
 ならどうする? どうすればいい相沢祐一?

「決まってるだろ? 相沢春奈の一人息子は…突き進むことしか教わってないんだからなあ!!」

 右拳に力を込める。
 ああそうだ。前にしか進めないなら、進み続けるしか道はない。
 
(何だ?)

 魔力は高い。だがそれだけの、そんな男に闇の書は一瞬異質を感じた。
 不味い。あれは駄目だ。
 あれから喰らっていけない……!

「刃撃て、血に染めよ」
 
 その直感に逆らわず、闇の書は防御状態から更に魔法を展開させた。
 真紅。血に染まったクナイが闇の書の周囲に現れる。

「穿て。ブラッディーダガー」

 放たれた。
 それは砲撃を続けるなのはとフェイト、そして右腕に魔力を収束させ始めた祐一に向けて。
 赤い軌跡を残しながら撃たれたそれを、三人は避わす術がない。
 直撃。
 爆風を振り払いながら、なのはとフェイトが後退した。
 祐一も収束を乱され、爆炎の影響で大きく距離を開かされる。

「咎人たちに、滅びの光を」

 だが未だ終わらない。
 闇の書は右手を掲げ、魔方陣を展開した。
 その色は桃色。高町なのはと同じもの。
 球体に固められた魔力の塊に、周囲の魔力素子が吸収されていく。

「あれは、なのはの!?」
「な、なんだあれ?」
《スターライト…ブレイカー。高町なのはが……持つ、最強の収束砲撃魔法……。受けちゃ駄目。……逃げて》

 放つ前に攻撃する。
 いや、それでは仕留め切れなかったときに直撃をゼロ距離から喰らうことになる。
 自分一人ならいいが、消耗しているフィオを考えると祐一にはできなかった。
 なのははフェイトに、ユーノはアルフに連れられて行った。
 なら大丈夫。速さならフェイトと同等。残った自分も後ろに下がる。

「《駆霊》発動……!」
《後ろ向きに…全力前進……!》

 疾風巻上げ、狼が大地を駆けた。
 上空のなのはたちを見上げながら、祐一は闇の書から離れていく。

「おい、この距離でもまだ足りないのか!?」
「回避距離でないと、防御の上からでも落とされるから!」

 上に向けてそう叫ぶと、フェイトからの返答。
 既に闇の書から一キロほどは離れている。
 それでもまだ駄目とは、なのはとは喧嘩はしないでおこうと祐一は決めた。
 上空を飛ぶ少女にビビッていたその時、何かを感じ取る。
 結界内。この反応は…人だ。

《祐一……》
「何で…位相結界だろこれ?」

 位相をずらして敵味方を閉じ込める。これがこの結界の能力だと聞いていた。
 なら何故?
 だがそんなことを今問答する暇はない。人がいるなら、魔導師でない以上捨て置くわけにもいかない。

「面倒だなっとお!」

 前進の勢いを真上に向けて、祐一は高く飛び上がる。
 視覚を強化。そして周囲を見渡した。
 五感を研ぎ澄ませ、気配を探り取る。
 ………いた。

「見つ・けたあ!!」

 空を穿って下降。二つの人影に向けて飛び込んだ。
 アスファルトを削りながら手前で着地し、勢いをその二人の前で殺し切る。
 一人は金髪。一人は深い紫の髪の少女。
 背格好は少女のもの。年はなのはたちとそう変わらないだろう。
 そういえば、こんな色の髪をした二人を祐一は知っている。
 ついさっき分かれた二人だ。一人は大人しそうで優しい、猫の好きな少女。一人は喧しい友達思いの、犬が好きな少女。
 土煙が晴れて、その姿がよりハッキリとなっていく。
 
「祐一……さん?」
「………………あれ?」

 我ながら間抜けな声だと祐一は思った。 
 だがそこは、出来ることなら許してもらいたい。
 何故なら砂塵の先立っていた二人は、祐一が先ほど思い出していた少女たち。
 アリサ・バニングスと月村すずかだったのだから。








<あとがき>

ただ前を見つめて、予告の題名とは変更。
11話で終わらせるつもりだったのですが、もう少し伸びそうです。

フィオの力を借りずに一人戦う祐一。
彼女はシンクロこそしていますが、管制はできず中で少しばかりの魔力供給を行っている状態です。
さあどうなるのか。冴えないネガティブ坊やから脱却だ!(ぇー

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