「はぁ……」

 退屈だ。カリム・グラシアは、この日何度目かになる溜息を漏らす。
 未来を予言する固有技能、【預言者の著書プロフェーティン・シュリフテン】。幼い日に持たされた、古きベルカの力。
 その稀少さと、事件の未然解決に並ならぬ能力を有するが故に、カリムは大切に扱われていた。
 それは彼女にとって、とても重く、窮屈な空間。外に出るのもままならず、また仮に許可が出たところで、護衛騎士が隣を歩くことになる。
 まるで牢獄だ。教会を、世界を檻にした、出ることの叶わぬ。

「教会騎士の考えることでは…ないですね……」

 自分の思考に自己嫌悪し、カリムは気分を変えようと窓を開けた。
 ――すると、どうも外の様子がおかしい。
 いつもなら鳥がさえずる音しか聞こえないはずなのに、何人かの人間が、叫んだり怒鳴ったりしている。
 視線を下に移す、と同時に、カリムは息を呑んだ。

「なっ――!?」

 何を、という言葉もでない。
 カリムのいる窓から見える、周りから比べても群を抜いて高い、一本の木。そこを、幼い子どもが一人で登っているのだ。
 既に地面からは遠く離れ、落ちようものなら死んでしまうかもしれない、そんな高さ。
 下にいる大人の制止も聞かず、いや、聞こえていないのだろう。一心不乱に幹に掴まり、頂上を目指している。
 自分との距離は、ほんの数メートル。声を荒げれば聞こえるかもしれないが、今意識をそらせば、それこそ最悪の事態になりかねない。
 声を殺し、手を握りしめて、少年が木の枝を掴むのを見届ける。少年はその枝に腰を下ろすと、教会を、自分の方を見た。
 視線が、交わる。

「――ほんとだ!」
「……え?」

 第一声に、疑問の声が出た。
 少年の手はボロボロで血が出ていて、疲労困憊で息を荒げていて。でも、とても嬉しそうな表情で。

「あのね! 友達が、ここに天使様がいるって言ってたんだ!」
「天…使……?」
「うん。だって天使様って、高いところにいるんでしょ?」

 ……つまり、この子は聞いた天使を探すために、何十メートルもある木に登ったと、そういうことか。
 そして今彼が言っている“天使”とは、自分のこと……?

「――ぷ」
「ねえねえ、天使様って、ここに住んでるの? お空の上じゃないの?」
「ぷ…ふふ……そう…私は、ここに住んでるの」

 疑問符を浮かべる少年が、視界にチラッと映る。
 でも、今は笑いが止まらなかった。
 初めてかもしれない。こんな風に笑えたのは。
 
「……ねえ貴方、お名前は?」
「レクサ! レクサ・L・ディアス!」
「そう。私はね――」

 それから先は大変だった。レクサはシャッハに助けられたものの、当然説教。カリムは初めての我が儘を言って、彼を自室まで連れてきてもらった。
 やってきた少年の怪我を治療して。お気に入りの紅茶を淹れて。日が落ちるまでお喋りをして。
 それは七年も昔の話。レクサとカリムが出会った最初の日。
 檻に囲われた小鳥が、笑えた日のことだった。



●聖王教会 06:03 a.m.

「――んっ」

 朝日の差し込む気配に、カリムは目を覚ます。
 ずいぶん昔の夢を見た。たぶん、彼の身に起きた事件が原因だろな、と自己分析して、ついで机に伏して寝てしまったことに後悔した。
 体中が痛い。シャッハが毛布を掛けてくれたようだが、どうせならベットに連れて行って欲しかったと、我が儘だと知りつつ思ってしまう。
 聖王騎士の話を聞いて、教会内の資料を集め、記述を探している内にウトウトしてしまったのだ。

「結局見つかったのは、今のところこれだけ、ですね……」

 古い書物の、一ページを見て、そう呟く。
 目をつぶると、彼の笑っている姿が見えた。
 本当は、戦いなんて嫌いな筈なのに。

「……ばか」

 古代ベルカの文字で書かれた一文を手でなぞりながら、消え入りそうな声で、カリムは小さく呟いた。











――聖王に害なす者あらば、風の心の騎士、逆巻く戦器持ちて、烈風の如く地を駆け抜けん――













Alternative StrikerS
03.【速度】





●機動六課・オフィス 09:13 a.m.

 フォーワードとはいえ、当然デスクワークなる物が存在する。
 朝食を終え、昼前に行われる訓練までの合間、機動六課のメンバーはオフィスで書類の作成作業を行っていた。

「うー…これなら訓練の方が楽しいよー……」
「はいはい、デスクワーク嫌いなのは分かってるから、もうちょっと頑張りなさい」

 机に突っ伏す青い短髪の少女。スバル・ナカジマを諫めるように、ティアナ・ランスターは手を止めずタイプを続ける。
 朱色の髪を二つにまとめたティアナの横顔を見て、スバルは溜息。母姉共に体育会系の気があったので、どうもこういった作業は好きになれない。
 手伝ってもらおうか、とも思ったが、入隊当初、副隊長であるヴィータにどやされたのを思い出し、スバルは渋々作業に戻った。見た目は小さいが、あの人は怒ると士官学校の教官なんて眼じゃないほどにおっかないのだ。

「でも、私もちょっと分かります。こういう作業って、大変ですよね」
「僕たちなんかは初めてだったしね」

 対面の席で慣れない手つきでキーボードを叩く、桃色の髪の少女、キャロ・ル・ルシエが賛同し、その隣にいる活発そうな赤髪の少年、エリオ・モンディアルが続けて言う。
 二人の年齢はどちらも十歳。因みにスバルは十五。どう考えても、フォローする側とされる側が逆の構図になっていた。
 そのことに気づいたスバルは溜息。年上の威厳を損なうわけにはいかない。隣のティアも横目で呆れたように見ている。
 頬を叩いて気合いを入れ直し、スバルはモニターに集中した。言っても、あと一時間もしないうちに午後の訓練が始まるのだ。机上の疲れは、そちらで発散すればいい。

「――あ。これって……」

 新しい書類作成に入ったところで、スバルは声をあげた。画面には先日報告があった、【聖王騎士】の静止画像が映っている。
 ティアナもそれに反応してか、スバルの席のモニターをのぞき込んだ。

「例のレリックと融合したってやつ?」
「うん。うわっ、ギン姉と年齢一緒だ。この人確か、一度六課で保護するんだっけ」

 二人の会話に混ざるように、エリオとキャロも移動して画像を見る。これをヴィータが見たとしたら雷ものだが、幸い彼女は今、この少年を病院から連れてきているところだ。誰かが喋らない限り、バレたりはしないだろう。
 スバルがデータを開くと、そこには実際にガジェットと戦闘を繰り広げる動画映像。丁度ハルバートを顕現し、それを回転させて構える場面だ。
 魔法陣を展開し跳躍すると、槍がガジェットのモノアイを貫いた。――と思うと、爆発し炎上する。

「ふぁ…すごい……」
「多分、高熱で内部機構を焼き切ったんだと思うよ。僕のストラーダも、突き刺した後電気で、内部から破壊するから」
「本人は事件解決に協力したいって話らしいけど、許可が下りるのかしら……名前は?」
「え〜っと……レクサ。レクサ・L・ディアス」

 その名前に、ティアナが僅かに反応したのをスバルは見た。
 かと思うと、横からキーを操作し、レクサの顔を拡大した画像を表示させる。
 人の良さそうな、下がった目尻。戦闘後であろう、優しい笑顔。

「ティア……?」
「……嘘……でしょ?」

 画面の向こうの少年は、何も答えはしなかった。



●機動六課・部隊長室 10:00 a.m.

「久しぶりやな、レクサ!」
「はい! はやてさんも元気そうですね」
「元気と体力が資本やからね。それにしても災難やったなあ」

 いえいえ、とワイシャツ姿のレクサが手を振る。
 事後、病院で再検査を受け、一日の安静を得て、レクサはヴィータの同行の元、ここ、機動六課へとやってきていた。
 怪我はすっかり回復し、体調も万全。レリックは能力を発現しない限り、封印してあるのと同じ状態のようで、あれからガジェットが襲ってくることはなかった。
 そして検査結果と、今後の方針を固めるべく、機動六課部隊長にして、先生の一人である、八神はやての所に来たのである。
 
「レクサ君、久しぶりですー」
「リインちゃんも、久しぶり。最後に会ったのって……」
「遺跡調査員になる直前だったから……三年前、ですね」
「結構経ってたんだ。それにしても大きく…はなってないか」
「う〜! 酷いですよ〜!」

 宙に浮いてレクサと話す、身長三十センチほどの妖精。リインフォースUは、はやてのサポート役だ。
 青みがかった銀髪に、鬢にはバッテン印の髪留め。レクサが幼い頃からの友達であり、共に魔法を勉強したこともあった。八神家の中で唯一、レクサがさん付けで呼ばない人物でもある。  

「リインは特に心配しとったからなー。よかったなあ、リイン」
「別に、レクサ君のことなんか心配してません!」
「あらら、ごねてもーた」

 片目をつむってはやてがレクサを見ると、困ったように笑っていた。彼には後で、自分でフォローしてもらうことにしよう。
 とそこに、陸士服に白衣姿のがやって来た。
 金髪のショートカット。西洋を思わせる容姿。ヴォルケンリッターの参謀にして、【湖の騎士】を冠する夜天の守護騎士、シャマルだ。

「お待たせしちゃいましたー。あ、レクサ君来たのね。久しぶり」
「ご無沙汰してます、シャマルさん。アイカワラズオウツクシイ」
「やだ、そんなこと言っても何も出ないわよっ。……後でこの前買ってきたクッキーあげるわね」
「三文判のコントはええから、はよ本題にはいろ……」
 
 はやてちゃん酷ーい、というシャマルの抗議を、はやては無視した。
 諦めてシャマルはモニターを表示。そこにはレクサが以前病院で見せてもらった、体内の画像が映し出されている。
 魔力回路と、胸のレリックコア。確かに異質である証。

「付属病院で収集したデータから見ても、あちらの予測通りみたいですね。リンカーコアとレリックが融合して、常識じゃ考えられない能力強化が施されてる」
「具体的にはどないな感じ?」
「魔力値上昇は勿論、肉体の方も強化されてるみたいです。レクサ君は、何か気づかなかった?」
「えーっと……からだが軽くなった感じはしますけど、それぐらいですかね」

 実際レクサの方は、たいした変化を感じていない。それも、レリックの力のせいなのだろう。そうシャマルは思った。
 一般人が、一気にエース級の魔導師になるようなものだ。普通の人間なら、急激な変化に耐えられず、発狂してしまうだろう。
 いや、その程度は生ぬるい。最悪なら、死に至るほどの強化が彼の中で行われている。

「シャマルちゃん、それで……?」

 悪い思考に流されていたところを、リインの言葉で我に返った。
 だが仕方がないのだ。不測の事態には、常に最悪を想定をしなければいけないものであり、彼に起こりうる最悪は、とてつもなく…重い。

「知っているとは思うけど、リンカーコアと脳中枢は深くリンクしているの。はやてちゃんが昔、先代リインフォースの記憶を見ていたのもその所為。だから、今はなんとも言えないけれど……」
「もしかすると、レリックに意識を乗っ取られる可能性もある、ですか?」

 レクサの問いに、シャマルは無言で首を縦に振った。
 もし仮に、レリックに別の意識があるとすれば、レクサはその意識に乗っ取られる。もしなければ、無感情な戦闘兵器…レリックウェポンとして戦い続けることになる。
 シャマルの危惧とは、つまりそういうことだ。人体兵器として戦わせるために生まれたのであろうレリックコアが、いつ彼をそういう風にしてしまうか分からない。それを承知で戦わせることが、果たして正しいことなのか。
 シャマルが視線を移すと、はやてやリインフォースは難しい顔をしていた。
 当然だろう。もしそんなことになったらと、自分も思い、恐くなる。
 だから、驚いたのだ。
 当の本人であるレクサが、顔色一つ変えていなかったから。

「まあ、大丈夫ですよ」
「いや…大丈夫って……」
「なんたって聖王騎士! ですもん。そんな風になったりしないだろうし……それに、俺が俺だって忘れなきゃ、きっと問題ないです」

 理論も何もないじゃない、とシャマルは思った。
 だが、不思議と彼の言葉は、自分を安心させてくれる。
 そう。要は意志の強さの問題だ。彼が自分を見失わない限り、彼が彼で無くなることはない。そう思う。そう、思いたい。
 シャマルは視線を移す。はやては諦めモード。リインフォースも首を振った。そもそも、こうと決めた彼を、この程度で止められるはずもなかったか。

「――分かったわ。私からはもうこれ以上言いません。……ただ、定期検査は行うこと。いいわね?」
「はい!」

 ともなれば、後は、はやての声一つ。
 皆の視線が集まる中、はやてはしかし、渋い表情を見せた。

「まあ、ここまできといて言うのもなんやねんけど……レクサ。あんたには、このまま戦ってもらうわけにはいかんのよ」
「えぇ!? な、なんで……?」
「六課入りはまあ、『遺跡調査員の視点からレリック捜査に協力してもらう』でええんやろうけど……あんたの希望はフォーワードやろ? 遺跡調査員を戦闘に参加させるんは、それなりの理由が必要になる」
「特定の部隊、または所属の許可や、推薦ですね」

 リインの補足に頷いて、はやては「そゆことで、このままやと無理やね」、と締めた。
 レクサの立場が『遺跡調査員』である以上、戦闘への参加は理由がない限りは許可が下りない。調査員とは、調査が本分であるからだ。
 彼がどうしても戦いたいというなら、彼の所属。つまりは『聖王教会』での、教会騎士の許可が下りなければならない。

「要するに、カリムの許しがいる、ってことですか?」
「そや。カリムはここの出資者でもあるから、彼女の許可さえ下りれば、後は問題なくいける」
「――分かりました。俺、カリムに頼んできます! 失礼しました!」
  
 と言うやいなや、レクサは一礼すると走り出した。
 こうと決めたら即行動。ブレも迷いもしないのは、良くも悪くも彼の性分というやつである。
 ドアに手を掛け退出するところで、レクサは突然立ち止まった。そして振り返って一言。

「リインちゃん。制服姿、凄い似合ってる」
「――ふぇ!? そ、そんなお世辞で、リインの機嫌は直りませんからねー!!」
「さっきはホントごめんね。それじゃ!」

 軽く片手を挙げて、レクサは隊長室から出て行った。リインの顔は真っ赤で、はやてが見ていて可愛いぐらいである。
 だがもう一人、シャマルの方は、浮かない顔をしていた。彼女の杞憂は、先程の話だ。

「あの、はやてちゃん……」
「分かってる。ま、レクサにとっては試練やろうね」

 カリムの許可とはつまり、彼女を納得させなければならない、ということ。
 彼女のレクサに対する子煩悩っぷりは、散々見てきたのだ。今回も揉めに揉めるだろう、とはやては推測する。
 丁度六年前、彼が遺跡調査員になる、と言ったときのように。

「私からは、ちょい口挟むしかできんやろ。後はあの二人次第や」
「そうですけど…大丈夫かしら、レクサ君……」
「言ってもしゃーないて。今はとにかく、仕事仕事!」

 それはそうだけど、とシャマルは思ったが、既にはやては仕事モードに切り替わっている。
 まあなるようになるだろう。と最後は諦めて、シャマルも退出することにした。

「もう……不意打ち……ずるいですよぅ……」

 その後リインは、小一時間ほど放置された。



●聖王教会 12:16 p.m.

「――駄目です」
「えぇ!?」
「というか貴方、まさかすぐに許可が下りると思っていたのではないでしょうね……」
 
 シャッハの冷静なツッコミに、レクサは「いやあ、何とかなるかと思って」と苦笑いしつつ頭を掻いた。
 時は金成りとばかりにバイクを飛ばし、いつものように窓から侵入。
 そして経緯をまくし立て、カリムに直談判したところ、見事なまでの即却下。
 当然といえば当然である。

「頼むよカリム。カリムの許しがないと、俺六課で戦えないんだ」
「戦う必要なんてないでしょ。キチンと検査して、安静にしてなさい」
「カーリームー!」
「――はぁ……。とりあえず、座って。お茶も淹れたから」

 カリムの言葉に大人しく頷いて、レクサは備え付けられた椅子に着席。置かれた紅茶を一口飲んだ。
 はやてからも連絡があったので、カリムは彼が戦いたい事も、戦う理由も知っている。

――誰にも泣いて欲しくないから、か……

 それは、全ての人に向けての言葉だろう。自分、身も知らぬ誰か。そして、彼自身のこと。
 けれど不安な気持ちは拭えない。聖王騎士の力は、確かに彼を戦士にした。
 だがそれが、彼の身の危険を、完全に回避してくれるわけではないのだ。戦えば傷を負い、傷つければ心を痛める。
 それは当たり前で、それでいてとても――悲しい。

「貴方が戦わなくても、六課はキチンと機能してる。それは分かるわね?」
「……うん」
「だったら――」
「でもっ、それでも戦いたいって、そう思うんだ!」

 唇を噛む。体が熱くなる。
 何で、この子は分かってくれないんだろう?
 傷ついて欲しくないのに。心も、身体も。

「聖王騎士になって、あんな奴らがいるって知って。そのとき、俺、戦おうって思った。あんな奴らの所為で…誰かに泣いて欲しくないから。だから――」
「じゃあ、私が泣いていいの!?」

 自分でも知らない間に下を向いて、カリムは声を荒げていた。
 テーブルに置かれた紅茶に、波紋が広がる。シャッハもレクサも、その一言で静まりかえった。
 そしてカリムは気づく。
 
――私は…レクサが傷つくのを恐れているんじゃない……

 そんな彼を見て、自分が傷つくのが恐いのだ。
 堰を切った感情が、言葉を紡いでいく。脳裏に映るのは、初めて彼が調査員になると言った日のこと。
 反対した自分に、告げたこと。

「私に、世界を見せてくれるって言ったじゃない……!」
「騎士カリム……」

 本当は、こんなことを言いたいわけではなかった。
 聖王騎士の記述について教えて、少しばかり小言を言って。それで最後は仕方ないと溜息をついて、許してあげるつもりだった。
 知っているから。彼は一度決めると、絶対に曲げたりしない子だと。
 けれど胸の不安は、拭うどころか募っていくばかりで。どこまでも前向きな彼に、苛立ちを感じてしまって。

「……ごめん。また、来るよ」

 伏せていた顔を上げると、眉尻を下げて笑う、レクサの顔があった。
 違うのに。許すと言いたいのに。しかし開いた口からは、何の言葉も出てこない。

「それと、もう一つ先に言っておくね。……ごめん。俺、やっぱり諦められない」

 最後にそう告げて、レクサは窓から飛び降りた。
 腰に下げた魔導器からワイヤーを射出し、それを傍の木に絡め、勢いを殺して地面に着地。 
 そしてカリムの方を一瞥すると、バイクにまたがり走り出す。
 エンジンの音が、段々と遠のいていく中、カリムは小さく漏らした。
 
「シャッハ……。私は、どうすればよかったの……?」

 その問いかけに、シャッハは何も答えられなかった。



「……反対されるのは、分かってたんだけど……」

 まさか、あんな風にカリムが怒るとは、思ってもいなかった。
 レクサとカリムの付き合いは七年。その中でも、あれほど感情的になった彼女を、レクサは見たことがない。
 いつも落ち着いた物腰で、自分の我が儘にも、最後は諦めて協力してくれて。
 だから、最後の言葉には動揺した。

「カリムと約束、したもんな」

 一人で窓の外を見ていて、それがとても寂しそうだった。
 だから彼女が、自由に世界を見たいと呟いたのを聞いて、レクサは遺跡調査員になることを決めたのだ。
 カリムに、笑っていて欲しかったから。
 反対を押しのけて、八神家に戦い方を学び、頭が痛くなるほど勉強した。三年掛けて、ようやく免許を取得したときは、カリムが一番喜んでくれていた。

――泣かすつもりは、なかったんだけどな……

 そのときだ。対面から何かが、真っ直ぐにこちらへ向かってくるのをレクサは見た。
 カプセル状のフォルム。金のモノアイ。浮遊する無機の敵意。

「――ガジェット!?」

 名を呼んだ瞬間、攻撃が来た。
 放たれる光線を、レクサは咄嗟に回避。グリップを手前に捻ってバイクを急加速させると、正面からくるガジェットの脇を走る抜ける。
 気づくと反対の車線からも、同じ物体が接近していて、レクサは舌打ち一つ。更にスピードを上げた。
 このまま鬼ごっことなれば、途中抜けねばならない市街地で、誰かに被害が及ぶ。
 それを回避するため、レクサは分岐点で左に曲がった。
 行き先は廃棄都市区画。そこならいくら暴れようと、怪我人が出ることはない。

「しつ…こい……!」

 路面に散らばるコンクリート片や、陥没した場所をかわしつつ、レクサは寂れた市街地を駆け抜ける。
 バックミラー越しに追走する敵を確認。アクセルを噴かせ急加速すると、十字路を右に。このままならビルに激突するが、前輪を浮かせると、壁面を這うように無理矢理、方向転換した。
 後ろのガジェットは勢いを殺せず、何体かがビルに激突し爆発する。

――どこか戦える場所を!

 一人に対して、数体いる敵を倒すのに、ただ開けた場所では不利になる。せめて背後からの攻撃がない地点。敵の奇襲を受けにくい位置で戦いたい。
 そう思い、周囲を見ていたそのときだ。真横から視認しきれぬ速度で、何かが迫ってきた。
 レクサは無意識にバイクから飛び降り、それの突撃を回避。紙一重で攻撃は当たらなかったが、バイクはガジェットの光線を直撃し、爆発。炎上してしまった。

「あー!? やっとローン払い終えたばっかりだったのに……」
 
 煌々と燃える火柱を見て、肩を落とす。
 だが今は、ずっとそうしているわけにもいかないのだ。
 先程高速攻撃をしてきた、謎の影。
 ガジェットの速度とは訳が違う。緊張状態だったから気づけたものの、あと一瞬でも反応が遅れれば、まともに攻撃を受けていただろう。

「セット――」

 瞳を閉じ、レリックコアに意識を集中させる。すると体中を炎が覆い、レクサを包み込んだ。
 燃え立つ烈火の中、右腕を胸の前に。そして、咆哮する。 

「――アップ!!」

 腕を払うのと同時。纏っていた炎が吹き飛び、紅蓮色の騎士が現れた。
 右手には、既にハルバートを握っている。
 正面からは三体のガジェット。それに対して、レクサはデルタ型、ベルカの魔法陣を展開。炎で構成された、槍の穂先を具現化する。

「フォイアー……ランツェ!!」

 魔法陣の三点、そこから一斉に炎槍が放たれた。それは正確にガジェットを貫き、炎に包み焼き尽くす。
 知っていた魔法ではない。ただ、相手に対しての対処が、自然に頭に浮かんできた。レクサはそれに従って、動いただけだった。
 周囲に他のガジェットの姿はない。

(だとすれば…残りは――!)

 高速の敵意が牙を剥く。
 左からの強襲に今度は回避しきれず、レクサは大きく吹き飛ばされた。
 受け身をとってすぐさま立ち上がり、周囲を見渡すが、敵の姿はない。
 先程よりも更に速かった。視認してから動いていては、確実に負ける。そういう速度だ。
 集中力を極限まで高め、五感を冴え渡らせる。ハルバートは、すぐに対応できるよう、斧刃を空にかざすようにして構えた。
 ……来――

「がっ!!」

 しかし体は追いつかない。正面、ビルを突き破って現れた影に、レクサは反応できず、一撃をもらってしまった。
 だが、このまま逃がしはしない。ハルバートは落としたが、離れる前に敵を掴む。どんな速度でも、掴まえてしまえば関係ない。
 だからレクサはそうした。

(……え?)

 手の感触に、レクサは唖然とし、顔を上げた。
 それは、機械と言うには柔らかく、無機と呼ぶには暖かく。……鉄くずと名付けるには、あまりに美しかったから。
 掴んだのは、紛れもなく人の腕。視線の先には、女の姿があった。
 
「……人…だと? ガジェットじゃないのか……!?」

 背丈はレクサより幾分高く全身をボディスーツで覆っている。
 邪魔にならぬよう短く切られた青い髪。女性を示す曲線的な体躯。
 そして顔には、ガジェットのモノアイに似たパーツがついた、金属製のゴーグル。
 金の一つ目が左右に動き、そしてレクサを捉える。

「これが底か? 聖王騎士」

 首もとの『V』の数字。レクサがそれを見た次の瞬間、彼は掴み損ねた左腕の一撃を喰らっていた。
 腹にねじ込まれた拳の衝撃が、全身の力を奪い去る。くの字に折れたレクサの頭部に、次いで手を離した右から繰り出される、肘が打ち込まれた。
 防御をと、思考が叫ぶ。けれど体がそれに反応できない。
 そうして最後に放たれた回し蹴りをまともに食らい、レクサは衝撃で吹っ飛ばされた。
 ビルに直撃し、土煙が舞い上がる。

――まっず……!

 痛みで判断が遅れた。それが致命的だった。
 距離が離れた状態で、敵は拳を握りしめ、大きく振りかぶっている。
 レクサは咄嗟にシールドを展開しようとするが、それよりも猶速く、一閃が打ち出される。

「――インヒューレントスキル。ライドインパルス」

 何事か告げるのをレクサは聞いた。だが、聴覚が把握するより先に、痛覚が全身の情報を蹂躙する。
 視認しきれぬ高速の打撃。純粋な力のみで構成されたそれが、真っ直ぐに、淀みなく打ち抜いた結果だ。
 背後のビルが、轟音を立て、崩壊していく。
 血反吐をはいて、レクサは膝をつく――かに見えた。

「がっ……あ……このぉ!」

 気絶しそうな意識をギリギリで保ち、レクサは震える膝を押さえつけ、立ち上がった。
 だが、倒れなかったところで、打開策がない。
 スピードに体が追いつかない以上、対処しようがないのだ。さっきのように敵を掴んでも、ガジェットでなく人間なら、いくらでも他の攻撃手段がある。
 あのスピードに対応出来なければ……負ける。

「もっと…速く……!!」

 限界速度を、更に上げなければ勝ちはない。

「粘るな。だが、これで――」

 女性がまたも振りかぶり、攻撃態勢に入った。
 もっと速く。もっと鋭く。何が何でも動きを見切れ。反応と動作を直結させろ。
 もっと、もっと、もっと、もっと……もっと!!

「――終わりだ!!」

 高速機動の一撃が、放たれた。
 砂塵が立ち上り、渦巻き、嵐となる。
 そしてそれが、大きく広がりかき消えた。
 中央に立つのは、拳を突き出した女性と……その右腕を掴んだレクサの姿。
 先程とは違う。相手の拳を避け、その上で手首を取っている。

「貴…様……!?」
「――っらあ!」

 掴んだ手首を捻り、開いた体に拳を打ち込んだ。
 大きく開く二人の距離。そこから一度離れるように、女性は己の機構を起動。一瞬で背後にある、ビルの頂上まで飛ぶ。

「――何!?」
「……え?」

 しかし着地の音は二つ。女性が見ると、レクサがすぐ傍にいた。
 それに最も驚いたのは、他ならぬレクサ自身。
 己の姿を見、声を上げる。

「あ、青くなった!?」

 赤かった甲冑は青色に変わり、両腕の袖も無くなっていた。
 更には手足にあった装甲も外され、防御能力は極限まで落とされている。
 レクサの望みを叶える姿。風の如く、速く駆けるための形態。
 烈風の、騎士。

「――これならっ!」

 全身の力を抜き、拳を握り込まず、レクサは戦闘態勢に入る。
 相手の動きから次の動きを予測し、それに合わせて型を変えていく。
 一瞬、力を込めた一刹那を好機として、一歩、踏み込んだ。
 ――加速する。







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